子どもから「いったい自分にどんな人間になって欲しいと思っているのか?」と質問され、親としてはどう返事をするか
息子2が今年は高校受験だったので、昨年度はどこを受験するとか、しないとか家族で話し合う時間がそれなりにあったと思います。息子1のほうは今年大学受験ということで、志望校選びとかこれまた家族で話す機会が当然ながら出てきますよね。
こんなときに成績優秀だったり、受験対策バッチリで乗り切った経験をお持ちの方であれば、そこは自信をもって自分の生き方で説得もしくは、アドバイスできるでしょうが、残念ながら自分の場合には反面教師的な事例しか示すことができません(自爆)
よくよく考えてみると、自分が苦労した経験から自分がやっている事と正反対のアドバイスをしたりすることもあって、その話を聞く子どもの立場としてはとっても困るんだろうな~と思ってはいますけど、ネットにもいろいろな処世術だったり、参考にすべき情報は溢れているわけですが、こればっかりは自分で経験しないと判らないし、判ったときにすでに手遅れって事がほとんどなのではないかと思います。
この手遅れにならないように、親としては小言を言ってしまうのですが、息子2がこんな言葉を浴びせました
いったい自分にどんな人間になって欲しいと思っているのか?
受験校をどうするか、という話の流れからするとちょっと別な話ではあったりするのですが、学歴に対する自分のコンプレックスであったり、楽器についても小学校時代など先生についていた時期の後悔だったり、いっそ高校卒業してそのままボーヤになるべきだったのか…などなど、自分の失敗体験から話していることは彼にとっては参考になるはずと勝手に思い込んでいたのですが、この質問の話を聞いてちょっと衝撃を食らった感じでした。
そういえば、内申を幾つ以上にしないととか、偏差値幾つ、推薦枠がこれこれでとか、通学時間がこれだけだから…いわゆる受験対策とか戦術の話が主体で、そこに息子2という「個」がどう成長することを親として望んでいるのか…という話が全然できていませんでした。
自己否定の反動から、そういえば彼には
《「荘子」逍遥遊より。想像上の巨鳥、鵬(ほう)が遥か南方に向かって飛び立とうとする意から》南に発展しようとすること。大事業を計画すること。
↑これにちなんだ名前をつけたではないか…と(苦笑)
わたしが彼らの年代の時にはすでに父親と暮らしていなかった関係で、自分自身が父親としてどう接することが良いのか…という基準を何ら持たない為に息子1、2、には迷惑掛けている事もあるんだろうな~と思うことが最近増えてきています。
こんな話をしても彼らには迷惑なだけなので、本人にはまずそれなりのポジションを取れないと、自分がこうありたいと思っても選択の余地なくなるぞ(もしくはかなり苦しむことになるぞ)…という趣旨の話をして、この質問への答えをちゃんと出来ていないのですが、近いうちに話し合いの場を設けないといけないですね(照)
このブログを見られてしまうといろいろ形勢不利な感じもしますけど、親がこんな事考えているのかって参考になるってのもこの21世紀のIT時代ですから有りでもいいのかな…と思い今日はエントリとして書いてみました。