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読めばベタに分かる、タイトルどおりのブログ

やっぱり忘れちゃいけない、と思うから・・・”あの時の”1月17日を振り返る(後編)

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今回で最後。これで出し切り。

19日。出張二日目。県内の別の会社。朝から打合せをしながら作業。この間、その後の阪神・淡路の状況は耳に入って来ない。強いて言えば、お店で商品の発注の段取りが一切つかない、と苦笑まじりに言われるぐらい。本社の混乱が想像できる。

そんな中、自分に電話、と出張先の人に取り次がれる。自分の部署の人間からではない。日常業務では関連の無い別の部署に居る同期から。どうした?と尋ねると、とある地に赴任している同期が急逝した、との知らせ。阪神・淡路地区ではない。体を壊している、という話は一切なかったから、あくまで急逝とのことしかわからない。とりあえず連絡をくれた礼だけ伝えて詳細は大阪に戻ってから教えて欲しい、と伝える。

出張からの戻りはスムーズ。オンスケで飛行機が飛び、大阪に帰る。しかし地震による影響はいよいよもってひどい状況らしい、ということがわかってくる。日常のテレビプログラムはほとんどやっていない。夜間もずっと定点カメラの映像に対し、定期的、および随時、という形でニュースをやっている。ついつい遅くまで見てしまう。

翌朝会社に行ったが、同期の死については、最後まで真相はわからなかった。

その後の話。

国道43号線は復興支援のための物資輸送車両が優先され、一般車両の通行はほとんどできなくなっていた。もの凄い量の砂煙を上げて、何十台というダンプが走っていく。

自分は志願して企業ボランティアの避難所向け物資配送担当になる。自分が何度も走っていたことのある道の周辺にあった建物がことごとく無くなっていた。配送車両は軽自動車。なるほど、この瓦礫で道がふさがれている状況では、普通車の幅では通ることができないだろう。

彼女の家に行くのには、もちろん阪神高速は使えないし国道43号線は前述の理由からも使えないので、山から回るルートを開拓した。武田尾・道場まわり三木・押部谷を通って西神中央から入る。そんなに太い道では無いから気は使う。でもこれで確実に時間は読めるようになった。

神戸市内はほぼ交差点おきに警察の機動隊用バスが数台止めてある。全国から来られているらしい。あれだけの台数があると、日本中の全ての機動隊用バスが集まっているのではないか?と思えるぐらい。なぜエンジンを掛けっ放しであれだけの台数を止めているのだろう、と一瞬いぶかったが、報道によると機動隊の方の宿泊場所としてあそこで寝泊りしているとのことらしい。お疲れ様です。

会社の自分の職場ではお亡くなりになった方は居られなかったが、会社全体で見れば残念ながらそういう方もおり、また神戸方面に住んでいた方は家を失われた方も居られた。

地震により起因した、と思われる火災の場合は火災保険での補償がなされない、ということを始めて知った。日本は地震が多いのだから地震保険に是非入っておくべき、という話をテレビでやっていた。後からなら何とでも言える。地震保険は地震保険でも、損保会社系のものより、掛け金が安い割には充実している、ということで、農協(JA)の建更まもり5型(現在は建更まもり10型)が良い、ということを書き出す雑誌とかが出てきて、急速に加入率があがっているなんていう話もあった。

とにかく、あの地震が関西に与えた影響は大きかった・・・。

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何を今更書いているんだ?と思われる方も居られることだろう。
本当に被害が大きかった所に居なかったお前が何を語っているんだ?と思われた方も居られることだろう。

今回、改めてこれを記そう、と思ったのが、自分への戒め、というかリマインドのためである。

1月17日を迎える時、これまでの自分は誰かに言われることなく、”あの日だ”という意識があった。今年・・・別に特段自分の身の回りに某かの変化があった訳では無いが、夕方、ネットのニュースを読むまで全く意識もできていなかった。自分が意識したところで何かが変わる訳でも無ければ影響を与えられるものでも無い。でも、どこかであの時真に思ったことを忘れてはいないか?「生きていられるだけ幸せ」。「天災は突然やってくる。そうすると、死も突然やってくるかもしれない。だからこそ悔いの残るような生活の仕方をしていてはいけない」ということを・・・。

だから今回、あの時あったことを今一度自分の中で呼び出し、またその時何が起こったのかを思い起こすことで、自分は何を目指そうとしていたのか、もう一度考え直そう、とした次第である。

もし3日分ともお付き合いいただいた方が居られた、とすれば、誠にありがとうございました、と申し上げる、と共に誠に申し訳なく思う。でも、これを呼んで、何かを感じる、というより、その時自分はどうしていたのか?ということを考えるきっかけにしていただけたのなら、こんな幸せは無い。

以上。

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