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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

【自由と自分軸】自由とは?

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「自由とは」などと言い出すと、「自由意志」がどうだとか、「アンガージュマン」(by サルトル)がどうだとか、ややこしい話になりそうです。そういう議論は結構好きなのですが、深入りしすぎると実用的でなくなる気がします。

哲学者だけならいいですが、もっと深みにハマると、法学者や社会学者、経済学者なども絡んできそうです(そして、みなさん自由の定義は違うでしょう)。

そこで、学問的厳密さには大いに欠けるかもしれませんが、今後の話を進める上での前提となる「僕なりの自由の定義」をしてみたいと思います。

●相対的なものであり2つの軸がある

完全に自由な状態というのがあるとすれば、世の中のことは何でも自分の思い通りとなり、しかも何の責任も問われないという状態でしょうか(自由には責任を伴うという議論もあるようなので補足しておくと、すぐ下で言っているように、責任を伴わない自由は原理的に存在しないというのが僕は本当のところだろうと思います)。

しかし、反比例のグラフがいつまでたってもX軸と交わらないように、このような自由は無限の彼方にあるものだと思われます。

であれば、上のような自由を究極としながらも、自由というのは相対的なものだと言っていいでしょう。

そこで、私たちがふだん自由を感じる状態について考えてみると、どうやら2つの軸があるようです(下図)。

2014052701.png▲森川式自由の定義

1つは、選択肢が多いということ。

何をするにしても選択肢が少ない状態は楽ではありますが、不自由な感じがします。

あらゆる選択肢がある中から選べるというのは、かなり自由な感じがします。

もう1つは、自分で決定できる範囲が広いということ。

いくら選択肢が豊富にあっても、誰かの意思に従うことが多いのであれば、やはり不自由です。

ということで、あくまで自由というのは相対的であるということを勘案すると、上図の斜め45度の実線を境として自由と不自由が別れるのではないかというのが、僕の仮説です。

●自由になる方法は2つ

当然、反論はあるでしょう。

世の中には、選択肢も多く自分で決定できる範囲も広いのに不自由に見える人もいるし、逆もいるではないか、と。

おっしゃる通りだと思います。

一つは責任の大きさのような要素もあるからでしょう。ただ、それだとさらに軸が必要になり(立体となって)話が複雑になります。あくまで上の2つの軸(平面)で話を押し進めて行くことにします。

先ほどの反論に答えると、それはたぶん、自由になる方法が2つあるからだと思うのです(下図)。

2014052702.png▲自由になる2つの方法

1つは、軸を変えずに自由の側に移動するという方法です(上図右上)。

これを世間では、「成功」とか「ステージを上げる」などと言うようです。地位や収入などの向上により「自由」を手に入れるという方向性です。もちろん悪いことではありません。

もう1つは、自分を変えずに軸を移動するという方法です(上図右下)。

選択肢が少なくても十分だと思う。たとえ他人が決定したことでも自分の意思決定だと思う(あるいは天の決めたことだと思う)。こちらは「足るを知る」とか「<自分らしく>生きる」などと言うようです。もちろん、こちらも悪いことではありません。それどころか、この方法を使えば、たとえば牢獄の中でも私たちは自由になれる可能性があります。

なお、言うまでもありませんが、両方を組み合わせても構いません。

良くないのは、自由の側に移動したのにも関わらず、軸もその分、上と右に持っていくということです。「成功」したのに自由に見えない人はこのタイプです。

逆も良くありません。軸を下と左に持っていったのに、自分もどんどん不自由の側に移動する。世をスネた人です。あるいは、酒やクスリなどに依存してしまう人もこの類です。

☆☆☆

さて、「自由を得るための自分軸活用法」というテーマでしばらく書いていこうと思っていますが、ようやく準備が整いました。

次回からは、不自由な人のパターン別に、自分軸が自由を得るためにどのように役立つのかを書いていこうと思っています。

つづき:不自由の原因

▼ビジネスライター森川滋之オフィシャルサイト

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