顧客志向の究極がホスピタリティ?
マーケティングの教科書を読んでいると、1990年ぐらいから顧客志向がマーケティングの中心になったことが分かる。
いや、元々顧客志向という考えはあったのだが、良い商品をできるだけ低価格で提供し、広告宣伝やPRで広く知らしめれば、お客は喜ぶから売れる。つまり、お客のニーズを満たせば売れるという程度の考え方だったと言える。
90年代から主流になってきたのは、そのような古いタイプの顧客志向ではなく、顧客を維持するためのマーケティングだった。
一度買ってくださったお客にリピーターになってもらう。もっといえばファンになってもらう。そのために顧客の嗜好に応じてきめ細かくリコメンドをしたり、ファンのためだけの格別なサービスをする。
これが現代の顧客志向であり、インターネット等の技術的な革新はあったが、この20年ぐらい大筋は変わっていない(これは、学問的な話であり、分かっている人は言語化されていなかった昔から実践しているのは言うまでもない。後で出てくる例はその類だ)。
しかし、このことが分かっていない業界や会社は多数あり、それらが衰退していることは、先日書いたとおりだ。
リピーターになってもらうには、顧客を感動させることだ、と主張するマーケティング・コンサルタントが多数いる。
これは間違ってはいない。感動すれば、また行きたくなるのは事実だ。
だが、感動させなければリピーターにならない、また、その手段としてホスピタリティの追求しかない、と主張するのであれば、それは間違いだろう。
その前にホスピタリティとは何か?
分かりやすい説明があったので引用させていただく。
■ホスピタリティとは「ホスピタリティ」とは、「思いやり」「心からのおもてなし」という意味です。
特にサービス業でよく使われております。(中略)
■ホスピタリティにつながる3段階のサービス
第一段階のサービス
当たり前であり、当然しなければいけないサービス
第二段階のサービス
お客様の満足度を高めるサービス
「気くばり」が含まれた、良い印象を与えるサービス。カスタマー・サティスファクション(顧客満足)につながる。
第三段階のサービス
お客様がして欲しいことを真剣に考え、お客様が求めている要望を超えたサービス。
自分の親友や家族に接する以上の気持ちをこめて、お客様に最善の試みを行う。単なるサービス提供ではなく、第三段階につながるようなサービスを提供することが、お客様の満足につながり、売上げ・利益向上を達成することができる。
事例としては、リッツカールトンがよく知られている。
ホスピタリティの追求が悪いと言っているわけではない。
ホスピタリティの追求でうまくいっている企業もたくさんある。ただ、ホスピタリティの追求しか顧客志向でないとしたら、それは間違いではないかと言っているのだ。
ちょっと考えたら分かると思うが、世の中のホテルがすべてリッツカールトンになってしまったら、逆に困ってしまう。
そりゃあ、リッツカールトンを定宿にできるお金持ちはいいですよ。でも我々庶民は、もっと安くて、清潔だったら十分だ。
ホスピタリティの追求は、リピーター化する手段ではあるが、たくさんある手段の1つでしかない。
なじみの居酒屋が突然、「お客様がして欲しいことを真剣に考え、お客様が求めている要望を超えたサービス」をし、「自分の親友や家族に接する以上の気持ちをこめて、お客様に最善の試みを行」ってきたら、正直気持ち悪い。二度と行かないかもしれない。
「「気くばり」が含まれた、良い印象を与えるサービス」で十分だし、それすら必要がないことさえ大いにある。
東京でコンスタントに行列ができる居酒屋といえば、芝大門の秋田屋と門前仲町の魚三酒場だろう。
秋田屋は15時半、魚三は16時からやっている。どちらも開店30分前ぐらいから行列ができ始め、開店時間に来たらもう満員だ。普通のサラリーマンが定時に仕事を終えてから出かけたら、まず待たされる(そんなに長時間待たされるわけではないのは付け加えておく)。
これらの店は、ホスピタリティが高いのかといえば、そんなことはない。
上の引用でいえば、第一段階は間違いなく満たしているが、第二段階となると、もう疑問である。
安くて美味いから人が集まるという人もいる。確かに安いし、美味いのだが、格別に安いわけでもないし、驚くほど美味いわけでもない。値段にしては美味いということだ。これらより安くて美味い店は、ないわけではない。
では、なぜ流行るのか?
それは、今まで書いたことと矛盾するようだが、顧客志向だからだ。
両店の店主がマーケティングを勉強したかどうかは分からないが、頭がいいのは確かだ。
まず、自店の顧客が誰かを明確に設定している。
顧客志向の出発点はここだ。設定したターゲットに対して完璧に応えることが、顧客志向の本当の意味だ。
万人に完璧に応えられるわけはないので、万人志向ではお客は来ない。消費財のメーカーならまだしも、サービス業や接客業ではここを間違えると失敗する。実際は消費財のメーカーでも、ターゲットは細かく分割して、それぞれに商品を提供している。
両店の場所と開店時間を思い出してほしい。場所から考えると、学生相手ではない。開店時間から考えるとサラリーマン相手でもない。つまり、地元の年配の人たちだ。
そこに絞り込んでいる。地元の年配の人たちが安心して飲める店がコンセプトである。だから、安いし、しかも粗末なものは出さない。年配の人は口うるさいからだ。
ただし、学生もサラリーマンも排除するわけではない。店の雰囲気を壊さなければ、来てもらって構わない。ただ店の雰囲気や暗黙のルールを守らないと口うるさく怒られる。一見愛想がなく見えるのは、そのためだ。
たとえば注文の様子を見てみよう。
年配の人たちはこの点のマナーがいい。店員の動きを見ながら、絶妙のタイミングで注文する。
流行っている店だから、店員もそれなりに数がいて、目配りをしている。目が合ったタイミングで注文すればいい。それを乱すと怒られるか、無視される。
チェーンの居酒屋のように、「すいませ~ん」と店員を呼んでも、「少々お待ちください」と言われたまま放置されることはない。
呑ん兵衛にとって最悪なのは、酒がなかなか出てこないことだが、両店ともそのようなことは起こらない。
肴も可及的速やかに出てくる。客と商品の回転率が読めているので、開店前にきっちりと準備しているからだ。
ダメな居酒屋チェーンと比較してほしい。その完璧さがよくわかるはずだ。
店に秩序があるというは、いいことである。
変にプライドが高く、口うるさく客にどなり散らす店は論外だが、店の秩序・ルールがきちっとしているのはよい。
その秩序を理解するまでは、気の小さい僕などは結構ひやひやするのだが、一度分かってしまえば、それに乗っかるのは逆に気持ちいい。
もちろん理不尽な秩序はいやだが、多くのお客が気持ちよく飲めるための秩序なら歓迎である。
そして、秩序の存在こそが、元々ターゲットでないサラリーマンや学生も足を運び、行列に並ぶ理由になる。
秩序のある店で飲むのは、呑ん兵衛としてのステータスだからだ。呑ん兵衛ぐらい通ぶりたい種族はいない。「あそこはちょっと口うるさいけど、マナー良く呑んできたぜ」などと人に言いたいものなのである。
まあ、そんな呑ん兵衛は実は少ないのかもしれないが、両店ともお客のマナーがいいのは本当だ。安心して飲める店であるのは間違いない。それは、店に秩序があるからだろう。それで、ターゲット以外も来る。
秋田屋も魚三酒場も、マーケティングという観点から、もっともっと研究されていい店であろう。
僕の数少ない(どちらも2回ずつしか行ったことがない)経験で思いついたことを書いただけだから、もっと重要な秘訣を見逃しているかもしれない。
また、店主に直接聞いたわけではないので、うがち過ぎのところもあったかもしれないし、結果としてそうなっただけのところもあるかもしれない。
ただ、はっきり言えることは、「地元の年配の方が、安心して、安くて美味く飲める店」というコンセプトを他にないぐらい追求した結果が、繁盛に繋がっているということだ。コンセプトが明確な店には、ターゲット以外もやってくるのは既に書いたとおりだ。
「お客様が求めている要望を超えたサービス」を提供しているわけでもないし、「自分の親友や家族に接する以上の気持ちをこめて、お客様に最善の試みを行」っているわけでもない。
どちらかというと「凡事徹底」のレベルが高いだけなのだが、それは見かけの部分ではなく、「一番守りたいお客を守る」という部分に費やされているということなのだろう。
リッツカールトンが、ホスピタリティの追求で利益を上げているとすれば、それは一番守りたいお客が、「高い料金を払う分、気持ちを見せることを求めている」お客だからだろう。
既に書いたように、ホスピタリティの追求は一手段であり、それ以外にも顧客志向の実現方法はいくらでもある。リッツカールトンにとってはホスピタリティの追求が一番マッチしていたというだけだ。
大切なのは、繰り返しになるが、自分たちが一番守りたい(維持したい)顧客にとって何が一番なのかを考えるということである。
それができない会社、店、業界は衰退していくしかない。
おまけ。
誰のものかは忘れたが、こんなエッセーがあった。
エッセーの筆者の友達が、ある雰囲気のいい大人のバーにいた。そこに、別の常連がやってきて、今回だけでいいので子供を入れてほしいとわがままを言った。店側はそれを受け入れた。
店側はかなり悩んだ上での対応だろうが、顧客志向の本質が分かっていたら、悩む必要はなかった。
こんな申し入れは断固拒否であり、その常連のことはあきらめるべきだった。
しかし、下手にホスピタリティなどと考えてしまい、一人一人のお客に最善を尽くそうとするとこんなことになる。
目撃者であるエッセーの筆者の友達は、その店には二度と行かなくなった。
さらにおまけ。
この記事を書いた後、内田樹さんの『街場の文体論』を読んでいたら、宮崎駿氏の次の言葉に行き当たった(P152)。
われわれは日本の子どもたちだけに向けて作品を作っている。その結果、たまたま世界のマーケットでも支持された。それは嬉しいが、それは自分にとっては「ボーナス」みたいなものだ
ターゲットを絞って、それに向けて全力を尽くせば、他もついてくる。最初から「世界」を目指していたら、ジブリの成功はなかったということである。それどころか、未だに「世界」を目指さないところにジブリの繁栄がある。
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