オルタナティブ・ブログ > ビジネスライターという仕事 >

ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

死んだら双六問屋へ行きたい

»

hinshi.jpg

天国でも地獄でもないところに、双六問屋があるに違いない。

死んだらそこへ行きたい。

キヨシローが「よぉこそー」と迎えてくれるはずだ。

※画像はAmazonから転載しました。クリックするとAmazonアソシエイトに飛びます。そういうのがお嫌いな方はクリックなさらないでください。ところでこの表紙は浦沢直樹氏のイラストだそうです。

 

野清志郎が、千葉大学の体育館に来たのは、1981年だったはずだ。僕が高3のときだ。ロック好きの石井君が誘ってくれた。石井君は、もう20年以上行方不明だ。一説では怪しい新興宗教にはまったといわれているが真偽のほどは分からない。

当時RCサクセションはブレイクしたばかりだった。ライブハウスまわりの地道な活動の結果「雨上がりの夜空に」がヒットし、久保講堂で収録したライブアルバム「RHAPSODY」もヒット。武道館の単独講演を終えたばかりの頃だった。

フォークファンでもあった僕は、RCと言えば「僕の好きな先生」だった。清志郎と言えば陽水と一緒に「帰れない二人」を歌っている人だった。そこに「さなえちゃん」の古井戸から仲井戸麗一(チャボ)が合流したと聞いたときは、まさかロックバンドに変貌していたとは思ってもみなかった。

千葉大ライブでの前座はPモデルだった。彼らもロッキングオンなどの先鋭的なロック雑誌(当時)の読者にはよく知られていたバンドで、なかなかのカリスマ性があったのだが、いかんせん千葉大の体育館の音響は彼らの音楽には合わなかったようだ。またRCとは音楽性もかなり違う。RC目当てのファンが集まった会場はストレスで充満していた。

RCが登場し、清志郎が「よぉこそー」と叫び、同じ名前の曲のイントロが演奏されたとたん、会場のボルテージは一気にレッドゾーンまで振り切れた。こっちは、音響などにまったく左右されない不動のグルーブだった。チューンの塊だった。

おとなしく体育座り(体育館だしね)をしていた観客は立ち上がり、舞台前に殺到した。

僕は体育館の床が人間の重さで抜けるものとは知らなかった。コンサートは一瞬中断されたが、幸い怪我人はおらず、15分ぐらいで再開された。

ステージでの清志郎は暴れていた。最高にクールに暴れていた。サックスが生意気だと追い回していた姿がかっこよく、今でも脳裏に鮮明に残っている。

 

RCが大好き過ぎて、タイマーズ以降の清志郎の活動はそれほどリアルに追っていなかった。

だからこんなことを言える資格はないのだが、亡くなったときの持ち上げようには大きな違和感があった。

うざい芸能人が自分の心の師匠のように言うのが、正直我慢ならなかった(泉谷しげると甲本ヒロトを除く)。チャボがテレビでは何も語らないのに、おまえらに語る資格はあるのかよと、パンクな気持ちで思った。

テレビのアナウンサーが、清志郎さんの曲が大好きです、などと言うものだから、テレビで放送できない曲がどんだけあるのか知ってんのかよと、中指を立ててしまったこともあった。

なのであるが、いかんせんリアルに活動を追いかけていなかったので、最初に『瀕死の双六問屋』を手に入れたのは、小学館文庫に収録されたときだった。

「最初に」というのは、持っていたのを忘れて、今回買ってしまったからだ。

本屋の店頭で見かけたとき、「あ、清志郎のイラストが表紙だ!」とミーハー的な理由で買ってしまった。そのイラストでさえ、浦沢直樹氏によるものとは思ってもいなかった。清志郎の自作だと思っていたぐらいだ。

持っていたことさえ忘れていたのだから、新鮮な気持ちで読むことができた。清志郎は10年前、こんなことで怒っていたのかと改めて思わされた。

その怒りを、自分がはじめて読んだ5年ぐらい前はあまり共有できなかったように思う。当時は、そんなネガティブなことを言ってはいけないなどと思うポジティブ馬鹿になりかけていたからだ。清志郎らしいなと思う程度だった。

今読み直すと、本物のポジティブなメッセージはこういうものだと分かる。

そして、10年経って、日本は清志郎が心配していた通りにダメになっている。

 

格ということについて、若い人と対話をした。

彼は付き合う人の品格ということをあまり考えたことがないと言っていた。

僕は、若いうちという限定はつけたいが、それもいいだろう、人を見る目が肥えるからと応じた。

ただ、そのときは品格という言葉自体については話をしなかったのが、ちょっと心残りだった。

僕が品格があると思う人は、清志郎とか泉谷とかそういう人たち。

世の中に理解されていないことに対してぶつぶつは言うし、実はそれを気にもしているのだけど、最終的には己を信じて自分の実力を磨く。仕事には責任を持つ代わりに妥協もしない。以前にも書いた職人志向の人たちにこういう人が多い。

だから、中には行儀作法を知らなかったり、口が悪かったりする人も多いのだが、それは僕の言う品格とは関係がない。

きれいごとを言っても中身が透けて見える人は、もちろん僕の基準では品格がない。

その若い人の思っている品格とはかなりずれているような気がしている。

 

いを書き並べるだけのまとまりのない記事になってしまったが、許してほしい。清志郎の死は、僕の中ではいまだに整理がついていない。

ただ、この本だけは多くの人に読んでいただきたい。

僕がこのブログでイイタイコトは、ほとんど書いてある。それもずっとすばらしい、詩ともいえる文章でだ。

完全版はやや高いけどおススメだ。オリジナル版はかなり高値で取引されているし、文庫版にはCDがついていない。このCDは4曲とも名曲だ。特に1曲目の「瀕死の双六問屋のテーマ」という曲は泣けてくる。

 

れにしても、今日は1日に3本も書いてしまった。書き溜めていたものをアップしたわけではない。全部書き下ろした。狂気の沙汰だ。

暇なわけではない。仕事が溜まっている。ただ、今日は書きたい気分だったので書いた。めざまし占いでおとめ座が12位だったのが、書きたい気分になった理由かもしれない。書かないと今死んだら後悔するだろう。

明日やれることは明日やるという言葉をみなパロディーとして笑うだけだが、僕には、明日でいいことは後回しにして今日やりたいことをやれ、という意味に聞こえる。最高のポジティブワードだ。

このブログは、仕事それ自体を楽しむ人を増やすことを目的に書いています。

なお、僕はこういうことを見聞きして、こういうことを感じたということを書いているだけなので、牽強付会なところもあるでしょうが、大人の心で見逃してやってください。

top.jpg

Comment(0)