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ITに強いビジネスライターとして、企業システムの開発・運用に関する記事や、ITベンダーの導入事例・顧客向けコラム等を多数書いてきた筆者が、仕事を通じて得た知見をシェアいたします。

3月30日 人生の姿~「あってはならないこと」は、「起らないこと」とは違う(#311)

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人生、予期できることばかりでは、味わいが失われる。予期できない障害にぶつかりながら、それらを乗り越えて、自分なりのコースを歩んでいくのが、人生の成功だ、と松下幸之助さんは言っているようです。

その通りとは思いますが、福島の原発を見ていると、もうちょっと予期できないのかと思うこともしばしばです。

百歩譲って、原発事故自体が想定外の災害によるものというのは、認めてもいい(7m以上の津波が想定外なのかは、いまだに素人の私には疑問ですが)。

ただ、最悪どんなことが起こるのかは想定しておかないといけないのではないか。

次から次へと起るトラブルを見ていると、最悪をまったく想定していなかったとしか思えません。すべての対策が後手後手、つまり発生してからはじめて考えられたようにしか見えません。

そのような中で、作業員や自衛隊や消防署の方々が、被爆の危険にさらされながら、劣悪な食住環境の中で懸命に復旧につとめている様子を聞くと、胸が締め付けられる思いになります。

政府も幹部も「無能」としか思えない中、現場の人だけが危険にさらされている。私は、神風特攻隊や南の島で多くの尊い命が失われた、あの戦争を思い出さざるを得ません。東電の発表は、まるで大本営発表のようです(東京を守るためには、地方を犠牲にしてもいいという発想もよく似ています)。

なぜ、こんなことになったのか。それを理解するヒントが今朝の報道にありました。

何人かの放射線関連の医師が、作業員が仮に被爆しても重大な事態にならないような提案をしていました。それに対して、東電だったと思うのですが、そのようなことが起らないように全力を尽くしているので無用との対応しているようなのです。

この話を聞いて思い出したのは、日本人には、「あってはならないこと」は口に出しても、考えてもいけないという心性があるということです。いわゆる「言霊」信仰です。

東電側としては、作業員の深刻な被爆というのは「あってはならないこと」なのでしょう。だから、それが起らないように全力を尽くしている。そこまではいい。しかし、万が一起ったときには、どうするのでしょうか?

もうここまでいくつ、「あってはならないこと」が実際に起っているのでしょうか?

いい加減、「あってはならないこと」と「起らないこと」を区別して、「あってはならないこと」に対して、先手を打てないものでしょうか?

私は、専門家ではないので、原発そのものについては分かりません。私の勘違いもあるでしょう。ただ、素人だからこそ安心したい。

トラブル時に人に安心を与えるためには、今起っていることを正しく説明することは当然として、最悪に備えてここまで準備しているということを示すのがセオリーだというのは、普通のビジネスマンなら誰でも知っていることだと思うのですが・・・。

今日の一言)「あってはならないこと」に対しても、先手を打っておこう。

 

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