入札
しばらくの間、現在行っている「CIO補佐業務」、「業務システム開発プロジェクト診断業務」などを進める中で思うところを書いてみます。
随分前になりますが、ある会社で営業的な仕事をしていた頃(本来はMac関係の修理でした)、ある県立大学の教授をされているお客様から、入札参加の要請をいただきました。
具体的には、Sun と Domain の両方のワークステーションから Canonのレーザープリンターに印刷がしたいとのことでした。
どちらかは失念してしまったのですが、調べてみると、一方はCanonプリンタ向けのドライバが存在しないとのことで、入札という行為そのものについてよくわからないながらも、それなりに必要なもの(プリンタ関連のプログラミングマニュアルなどの資料。研究室なので開発可能という考え)も含めて、見積りを作成し、新幹線に乗って入札に行きました。
残念ながら入札には落ちてしまったのですが、その時「プリンタドライバが存在しない」事について、依頼主の教授にお伝えして耳にしたのが「何かが足らなくても、とにかく安い金額で通ってしまえば、その後、なんだかんだと膨らまされるし、結局は地元がとるんだよね」といったような事でした(本当にそうなのかは知りませんが...)。
その時、話を聞いて、当時少し前のニュースであった「1円入札」を思い出しました。「なるほど、そう言う事か...」と。
だからというわけでもなく、ただ機会がなかっただけなのですが、以来、入札に参加はしたことはありません。
公共団体の入札とか購買といった活動に、最初に疑問を持った出来事でした。
「1円入札」は今になって考えると、とても不愉快な話ですね。
「何の為に」という考え方がすっかり抜け落ちているということが明白です。
税金を使って発注を行う者として「評価をする(確かに難しい事ではあるのですが)」という事、その姿勢は一切考えないという意志表示に思えます。丸投げのつもりなのがハッキリと出ているように感じます(この値段でやれるって言うんだから、それでイイ)。
業者側が組織としての体力など、自分たちの強みを活用するのは当然と言われればそれまでですが、元々そう言う事のために入札はあるのでしょうか? それで調達は良くなったのでしょうか?
現在はさすがに「1円入札」はないと思いますが、ではどれほど良くなっているのか、疑問は多くあります(RFPなどについての思うところはまた後日)。
デミングの「品質コストは85%がトップの直接の責任」が実際その通りである場合が多いことを考えると、政府の調達がもう少しあるべき姿を目指していれば、現在の日本のIT業界の3K、7K状況は、大きく違ったものになっていたのではないかと思います。
これから私自身、発注側として公共団体の調達に関わる事になりそうなのですが、後悔しないようにしたいと思います(そうすると、これまでのように無力感に襲われた挙げ句、抜けざるを得なくなるかもしれませんが...)。