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体系化の弊害

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 少し間があきましたが前回の体系化によるメリットに続き、今回は弊害についてです。「体系の存在による弊害」の方が正確な表現かもしれません。

目の前のプロジェクトとは直接なんの関係もない

 ひとことで言えば、体系全体を対象に「使えるかどうか」「全部わからなければならない」と思ってしまいがちということです。
 体系はあくまでその対象にのみ焦点を絞って作成されています。

 前回の終わりに『PMBOKは「うまく行った実務経験の塊からのアウトプット」』と書かせていただきましたし、素晴らしいものと思っています。
 ですが、そのPMBOKでさえ私達が直面している目の前のプロジェクトとは直接なんら関係ないということです。

 体系全体を事細かに勉強しなければならないとしたら、恐らくそれは主として資格取得が目的であって、何故資格を取得するかと言えば、顧客や発注元は資格などで能力を判断せざるを得ないから、などといった理由のはずです。
 もちろん重要な事ではありますが、目の前のプロジェクトが上手く行くかどうかとは、やはり直接関係はありません。

 この認識をシッカリと持って、区別して意思決定に反映させる必要があります。
 私は新米の頃、米国の学者達の書籍を読みあさって、シッカリしんどい思いをしましたが、同じように「体系によって失敗」しかねません。

 それは体系が悪いのではなくて体系との接し方の問題です。


体系との接し方を知らない

「体系との接し方についての共通認識はあまりない」ように思えます。
 「メタ体系」とでもいいますか、体系自体を対象とした分類やタイプごとの接し方についての広く知られた情報はないので、「この体系はこういったタイプですから、こういうように捉えると良いですよ」といった様な表現が極めてしにくいことに、歯がゆさといいますか、難しさを感じます。
 結果、「使えるかどうか」という発想や表現自体によって、恐らくは大きなロスを生み出しているというイメージです。

 雑誌などでさまざまな失敗事例が紹介されたりしますが、これらは全く何も勉強せずに失敗したのではなくて、昔も今も、相応に大人達が勉強した上で失敗しているということに注意する必要があります。
 それはなぜなのかを常に気にかけていないと、失敗へ向かう判断に気づきにくくなり、表面上は違う失敗のように見えながら、根本原因で見ると同じ理由で失敗を繰り返しているという状況に陥ります。
 「体系による思考のロス(非効率な思考)や部分思考停止が起こる」、あるいは無意識のうちに、体系に逃げ道を見つけようとしているのかも知れません。

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