日本語の「誤用」の判断って、実は難しい
前々回、
ところで、「オブジェクト指向」が「指向」なのは、「オブジェクトという物理的なモノを作る」ということから「指向」なのか、それとも本当は「オブジェクトという概念を意識して作っていきましょうね」という考え方から「志向」が正しいんだけど、「指向」があまりにも広まっちゃったからそうなっちゃったのか・・・
と書きました。
日本語をはじめとして、現時点で実際に使われている言葉はみな「生きていることば」と言われます。当然、日本語も「生きていることば」です。で、「生きていることば」は必ず変化します。
例えば「あたらしい」。これは大昔には「あらたし」と使われていました。それが平安時代に「た」と「ら」が入れ替わり、「あたらし」となりました。これに形容詞の「しい」がくっついて、「あたらしい」となりました。今では「あたらしい」が正しい、とされています。一方「あらたし」は「あらたな」という形容動詞では生き残っています。
こういう言葉の変化って、どんどん起こっていますね。私なんてもう50歳を過ぎていますから、一睡もせずに朝を迎えることを「徹夜」って言いますけど、最近の若い人たちは「オール(オールナイトの略)」って言うそうですし。
「仕事で一睡もしない時は徹夜、夜遊びで一睡もしない場合はオール」
と使い分けている人もいるそうです。
さて、前々回
ということを書きました。この「当て字」ってのが難しくて、ですね。当て字は誤用なのか、それとも使っていいものなのか・・・
他にも「〇〇して下さい」の「下」も当て字だとされています。「〇〇してください」が正しい。ただ、「下」という漢字を使うほうがよりへりくだっている感が出るのも確かですね。
NHKの記事によれば、
『岩波国語辞典第7版新版』(2011、以下『岩波』)では「存知」の表記について、「「存知」とも当てて書く」と説明しています。
『新選国語辞典第9版』(小学館・2011)には、「「ご存知」と書くのはあやまり」との説明があります。
とのことで、「ご存知」は当て字だが使っても良い、という立場の人と、「ご存知は誤り、という立場の人が分かれているようです。
別の例では、いわゆる「ら抜き言葉」。
- 食べれます
- 見れます
という表現ですね。これらも正しくは
- 食べられます
- 着られます
なんですが、最近ではテレビでもら抜き言葉で話しているタレントさんをよく見かけます。文化庁では、
共通語においては改まった場での「ら抜き言葉」の使用は現時点では認知しかねるとすべきであろう。
という立場です。「改まった場では認知しかねる」という、なんとも微妙な表現です。つまり、学校の教科書や新聞など、公共の場においては誤りとしながらも、カジュアルな場でら抜き言葉が使われるのはやむを得ない、という感じでしょうか。
実際、「ら抜き言葉」は、
食べられますは「食べることができる」という意味なのか、
誰かに食べられちゃうのか、文脈をよく追わないとわかりにくい。「食べれます」は食べられちゃうと誤認することはないので、合理的である。
という理由で容認すべきだ、という意見もあります。
言葉は生きています。意味を誤解しないことが一番大事。誤解しないなら、「変化」を「誤り」と一刀両断にするのも、単に頭が固いだけ、というような気もします。あなたのご意見は?