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人を動かすものは何でしょうか?様々な「座右の銘」から、それを探っていきたいと思っています

カラシロ!

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先日、ある場所に研修を実施しに行ったんです。

そうしたら、受講者の方から「谷さんですね。いつも見てますよ-。えーと、カラスが白いやつ。」って言われました。読んでくださっているのはとっても嬉しいのですが、「カラスが白いやつ」って・・・

まぁ、変な名前ですからねぇ。「カラスは白いかもしれない」ですもんねぇ。

いっそのこと、これからは「カラシロ」って呼んでください。「辛子色」じゃないですよ ^^;

で、このブログを始める際に、この「カラスは白いかもしれない」という意味を書いたのですが、ここでもう一度書いておきますね。

大きく、ふたつの意味があります。

1.カラスは、「自分は白い」と思い込んでいるかもしれない。

自分が知っている自分と、他人が知っている自分とがあります。自分は、思いのほか自分のことを正しく理解していないものです。誰しも、自分のことを過大評価したり過小評価したり、優れた能力なのにたいしたことないと思っていたり、逆にたいしたことないのに自分はすごい!と思っていたりします。

また、同じ事象でも見方を変えると結果が変わります。Aさんはとっても真面目で、曲がったことが大嫌い、謹厳実直な正直な人で、自分でもそう思っているのですが、周囲からは「Aさんは融通がきかない頑固者だ」と思われています。この場合、「Aさんは真面目で正直な人だ」という評価も真実なら、「Aさんは融通がきかない頑固者だ」という評価も真実です。

さて、そんなわけで、カラスはもしかしたら「自分は白い鳥だ」と思い込んでいるかもしれません。でも実際には黒い。ようは、他人の評価に素直に耳を傾けましょうね、というわけです。自分自身を客観的に評価することほど難しいものはありません。

2.実は、本当にカラスは白いかもしれない。

実は我々の目が欺かれているだけで、本当はカラスは白い鳥なのかもしれません。しかし何かの見えざる能力によって、黒く見させられているとしたら?

これは、一般に「情報操作」と言われます。マスコミやインターネット上の様々な情報も、その多くは(7割とも9割とも言われています)操作された情報である、と言われています。情報のほんの一部を隠しただけでも、人はその情報に対して違った印象を受けます。例えば「Bさんは働き者だけど酒乱だ」と表現した場合と、「Bさんは酒乱だけど働き者だ」と表現した場合ですら、その情報から受け取れる印象は変わってくるのです。

これは、真実はどうであれ、最終的にその情報が受け取った情報が、「その人にとっては真実」になってしまう、という怖さを物語っています。言い換えれば、受け取った情報は必ず「その情報は真実なのか?」ということを疑い、検証するクセを身につけておかないといけない、ということです。

情報を発信する側にも責任があるし、情報を受け取る側にも責任があります。小さな社内のいち部署のメンバ同士でさえ、コミュニケーションミスや誤解などが生まれるわけです。これが社会全体ともなれば、無意識のコミュニケーションミス、作為的な誤解などはとっても大きな渦となって表れます(しかも、当の本人は情報がゆがめられていることに気がつきません)。情報を得る際にも、十分な注意が必要だ、ということです。

というわけで「カラシロ」、これからもよろしくお願いいたします。

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