「ありがとう」の反対語は?
先日、あるショップ(ここでご紹介するのも変なんですが、引用するからにはちゃんとご紹介しておかなきゃ)から送られてきたメルマガに、こんなことが書いてありました。
(匿名希望様より)
はじめまして。
いつもメルマガを楽しみに読ませて頂いてます。メルマガには、いつも感動したり
考えさせられたりして、
軽く読めて重く受け止められる内容だと思います。今日、ある方のお話を聞いて、メールさせていただきました。
それは、「ありがとうの反対語は何?」という話でした。ありがたくない…
なんだろう?
私には浮かびませんでした。「ありがとうの反対語、
それは、
『あたりまえ』ではないでしょうか」
という事でした。“あたりまえ“だと思うから、ありがたくない。
なるほどなぁ…と考えさせられました。「親子の関係で、
親がしてくれるのは“あたりまえ“、
そう思うと感謝の心もなくなる」、
というのです。奥が深いなぁと思いました。
「感謝をする」、と口では簡単に言えますが、
心からは思えていなかった気がしました。
“あたりまえ“はないんだ、と心に留めて、
謙虚にやっていきたいと思いました。
なるほど、と思って、ここに紹介したくなりました。
「ありがとう」の反対は、本来であれば「ありがたくない」なんでしょう。では、なぜありがたくないのでしょうか。それは「あたりまえだから、ありがたみを感じない」ということなんでしょうね。
そういえば昔、阪神大震災で被災したときには、水道の蛇口から水が出るということがなんてありがたいことなんだろう、とあらためて思ったものです。街が壊滅して、すべての「あたりまえのこと」があたりまでなくなった。道路は陥没して、車が通れない。水道からは水が出ず、ガスコンロからはガスが出ない。スーパーには食品が並んでいない。なくなって初めて気づく、ありがたみ。
一度、身の周りの「あたりまえ」に目をむけてみましょう。もしそれがなくなったら、どうなるか。きっと、ありがたく感じると思います。