齧られた金メダルの「意味」を考える。
他人の「金メダル」を噛んだ人がいる。映像からは、リボンの端も口に入っているようにも見える。
(前後の発言を聴いても、令和の今、アウトの見本市みたいなのだが、ここではそこは言及しない)
金メダル噛み映像が流れて、批判が殺到していた。
当初、IOCは、「元からあった傷、不具合じゃない限り、交換対象ではない」といった立場だったと記憶している。
ところが、一転して、「交換」することになったとの報道。
金メダリストご本人は、現場で授与されたものだから、交換はしなくてよい、と「辞退」していたとも書いてある。
「辞退」というが、「不要、断る」というニュアンスだろうと想像する。
しかし、世論に押されて、「交換」をすると。
文科省も教育上よろしくない、といった趣旨のことを発言している。
すでに金メダルは、彼女のものではなくなり、世論が議論し、文科省が子どもたちへの影響、社会への影響から論じるものとなっている感がある。
さて、もしこの「金メダル」。自分が授与されたものだとしたらどうだろう?
私だったら、当日みんなで首に掛け合って授与されたそのメダルこそが「私の金メダル」と思い入れを持てるものだと思う。
噛まれて、リボンに唾液もついているかもしれないが、それは洗うなどして忘れる。
このメダルこそが私が手にしたメダルなのだ、と自負していきたいと思う。
「交換」してあげる、と言われても、要らんと断る。
話違うが、大事なものをなくしたとか壊したという時、「同じものを買ってあげるから」とか「また同じものを買えばいいじゃない」と言ったり言われたりすることがあるが、それは、"同じもの"なのだろうか?
見た目が同じだが、"気持ち"の上では異なるものだし、"物理的"にも違うものだ。
この件、報道でしか読んだり見たりしていないので、まだ報道されていない様々なことがあり、また選手自身に気持ちも意思もわからないけれど、
読んだり見たりした範囲で、「自分だったら」を考えたら、「同じものはこれ一つ」と思い、噛まれようがなんだろうが、表彰台から持ち帰ったものを唯一の金メダルとして大切にしたいなと思った。
そういう意味で、噛んだ人は、本当に罪深い行動をしたし、殴ったり蹴ったりしなくても、他者を盛大に傷つけてしまうことがあるのだということを学べる事件であった。
本当に悲しい。