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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「ら抜き」だの「さ入れ」だの。

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「ら抜き」、気になりますか?

私は気になります。昭和生まれ、昭和育ちなので。

「食べれる」「見れる」・・・、ムズムズします。

しかし、主に若年層には、もう定番というか「ら抜き」の表現が当たり前となっているようで、彼らにしてみると、「ら入れ」のほうがかえってムズムズするようです。

「食べられる」「見られる」。

「ら抜き」は、「食べられる」が「可能」を表しているのか、「受け身」なのか、はたまた、敬意をこめているのかがわかりづらいことから発生したらしいいですが、つまりは、非常に合理的な言葉の変化なわけで、「食べられる」「見られる」を「食べれる」「見れる」とすることで、「これは、"可能"を表しているのよ!」と明確にでき、至極便利なんですね。

昭和な私としては、「食べれる」「見れる」は非常に気持ち悪く、若い方たちが口にするより、40代以上のどう見ても昭和世代がら抜きで話していると、より一層ムズムズしてしまうわけですが、言葉は生き物で、合理的に変化してくものだと思えば、「ら抜き、いやだー」と思うほうが、もう古いのかもしれません。

(参考:飯間浩明さんは、よく、「誤用だ」と決めつけることはできない、とTwitterで訴えていらっしゃり、飯間さんの解説を読むと、なるほどなぁと思います。 飯間さんのTwitter )

これまで新入社員研修では、「ら抜きはだめ、らを入れましょう」と教えてほしい、とよく言われてきたものですが、人材開発担当者も「ら抜き」でお使いになるようになり、「もう、どっちでもいいですよね」と話したりもしています。


TVでは、誰かの発言にテロップを重ねる場合、話者は「見れたんです♪」と語っていても、テロップのほうでは「見られたんです!」と修正されていることが多く、まだまだTV界では、「ら抜き」、一応やめとこうか、という配慮があるようですね。

「さ入れ」は、「書かさせていただきます」「言わせさせてください」のように「さ」が入る語法ですが、これまた、うーん、なんか気になる、と思いますが、それ以前に「させていただきます」も気になるし(いろいろと「させていただく」人が多いのでとても気になる)、言葉の問題は、好みもあって、いろいろややこしいのです。

ところで、先日、ある女優が「皆さんも拝見なさっていて気付いていると思いますが」といった発言をしていて、「いや、それは違うだろう」と思ったものでしたが、そういえば、以前、ビストロSMAPで中居君が完成した料理を前に、「皆さん、頂いてください!」と料理を勧めた瞬間があって(もう20年以上前のことだと思います)、それを思い出したりしました。

言葉が生きているし、「ら抜き」は、今や「ま、いいかなぁ。私は使わないけれど」と思う程度ですが、「拝見されて」「頂いてください」は、どうしても受け入れがたい・・・とはいえ、これも、徐々に変化するのでしょうかね。

新入社員研修が目前に迫ってきていますが、毎年、新入社員が苦労するのは、敬語です。
ら抜きなどはいいとしても、大人としての話し方ができなくて、とてもとても苦労しています。

家庭でも学校でも敬語を使う機会がどんどん減っているのでしょうね。

※あ、そうそう、まれに、いや、時々、年長者で敬語が使えない人もいます(初対面なのに、突然、「これ、どうなってんの?」などと言われたりするケース。セミナー参加者として同じグループになった初対面の同年代男性に自己紹介タイムで
「どんな仕事してんの?...へぇ、研修屋か。どうなの?儲かんの?」と言われたこともあります。敬語を知っていても使わないというケース。それはまた別の話。

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※ご参考までに

敬語の指針」 平成19年 文化審議会答申

http://www.bunka.go.jp/seisaku/bunkashingikai/sokai/sokai_6/pdf/keigo_tousin.pdf

(↑)この読み物は、読みでがあるのと、とても面白いので、お薦めです。

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