【OJT】トレーナーは放置プレイだったけど実は大勢が助けてくれていたというお話。
OJTの制度化が活発になったのは、2000年代初頭です。業界、企業、職種問わず、どこでも「OJT担当者」を新入社員(から3年目くらいまで)にアサインして、成長支援に携わるという仕組みを導入し始めました。
2000年代初頭ということなので、現在40歳以上の方は、その制度が生まれる前に新社会人時代を乗り越え、たいていの場合、口にされるのは、
「俺たちのころは、こういう制度なかったもんなー」
「放置されてたもんなー」
です。
そして30代でも、まだまだ、その名残はあって、OJT制度は運用されていても、なかなか企業内で定着していなかったのか、
「放置気味だったなー」
と思い出を語る方はいらっしゃいます。
そんな中で、こう言う発言をなさった方がいらっしゃって、とても素敵だなと思ったので、書いておきます。
「自分のOJTトレーナーは、もう完全放置だった。放置プレイで、何もしてくれなかったけれど、よくよく思い出してみると、OJTトレーナーじゃないいろんな先輩とか上司とか、他の部署の人とかが教えてくれたり、助けてくれたり、育ててくれていたんだなぁと今にして思う。"放置されてた"という部分ばかりが印象に残っていたけど、よく考えてみれば、一人で何でもやってきたわけじゃなくて、それなりにいろんな人が関わってくれていたんだなぁと今思うようになりました」
・・・なんという気づきでしょう。
「放置されていた」と言う方のほとんどが、「誰も何もしてくれなかったから、一人で育った」といったことをおっしゃる中で、「実は、いろんな人が、有形無形にかかわってくれていたんだなぁ」と気づくというのは、いいなと思ったのです。
人は一人で育ってはいないのだけれど、「一人で成長した」と言い張る人が結構多くて、実は、誰かがちょこっと教えてくれた、とか、「失敗を見逃してくれた」とか、再提出再提出をじっと待って、時間かかっているのに付き合ってくれていたとか、明確に「教える」「育てる」という行為ではなくても、成長に関わってくれた人がたくさんいたんだ、というのは大切な視点だと思うのです。
明確に、積極的に「教える」「育てる」という関わり方はしなくても、見守る、許す、付き合う、など、いろいろな関わり方があって、大勢が様々な形で一人の若手の成長に寄与しているのですよね。
そういえば、先日、別の企業でこんなことを話している方もいました。
「私は、先輩にいろいろよくしていただいて、それで成長できた、苦労も乗り越えられたと思っているので、その恩返しを後輩を育てることでしたいと思っている」
人育ては、壮大なリレーのような部分があって、皆で次世代にバトンを渡しているんですよね。