石井さんの妻は、夫婦別姓を選んだのか?
かれこれ30年くらい前の話になりますが、石井さんという先輩(男性、アラサー)がいました。
石井さんを含め、数人とランチタイムの談笑中のこと。
「結婚したらどちらかの苗字を選ぶのよねー」
という話になりました。
よく、「妻の姓を名乗る人」を「婿養子になった」と勘違いしている人がいますが、30年前だとよりその傾向は強く、多くの人が、「結婚したら、夫の姓を名乗るもので、妻の姓を名乗っている人は、"婿養子"」と認識(間違いなのだけれど)していることが多かったのです。
それで、そんな話題から、
「結婚したらどちらかの苗字を選ぶのよねー」
という展開になったのでした。
その時、石井さんが、突然、真顔になり、険しい顔になり、そわそわし始めました。
「え?まじ?それ、ほんと?」
「そうですよー。夫の姓を選ぶ人が多いけど、別に妻の姓を選んでもいいんですよー」
と私が説明すると、
「それは大変だ!」
とより一層石井さんは慌てます。
「どうしたんですか?」
「僕の妻は、僕の苗字になってくれたとずっと信じていたけど、もしかすると違うのかもしれない」
「それってどういう意味ですか?」
「僕の妻も、"石井"だったんだよ。結婚して、石井になった時、妻は僕の苗字を選んでくれた、僕の苗字になってくれたと思っていたんだけど、妻は、僕が彼女の苗字に合わせたと思っているかもしれない。」
(どっちでもいいじゃないか、それなら、と心の中で思いつつ)
「あ、それは大変ですね。奥様、自分の苗字を夫が使っていると思っているかもしれませんよ」(ニヤリ
こう私が楽しそうに言うと、
「こうしてはいられない。今日は早く帰って、妻に確認しなければ!」
と午後の仕事も身が入らない様子で、定時になったらそそくさと帰宅しました。
石井さんが帰宅後、妻に確認したのか?妻の答えは何だったのか?は、その後話題にすることもなかったので、謎のままですが、この話が30年経っても忘れられないのは、「夫婦別姓」を考えるきっかけだったからかもしれません。
今再び、「選択制夫婦別姓」の議論が盛り上がっています。
私は、姓を5年間だけ変えていたことがあったので、「選択制夫婦別姓」が実現すればいいなと思います。
多くの方がおっしゃるように、事務手続きの煩雑さは、確かにあります。
私のように、田中→●●→再び田中・・・。こうなると、もうあれこれ本当にめんどくさい。役所は土日に対応してもらえないことが多いし。銀行も。書類取り寄せたり、はんこ押したり、押したはんこが違うと言われたり・・・。
長く生きていればいるほど、面倒なものが増える。
とはいえ、それは一過性です。
事務手続きみたいなものより、とても深刻だったのは、「アイデンティティの喪失」でした。私の場合は。
喜んで夫の姓になったのです。最初は。
でも、夫の姓で呼ばれる自分が、どんどん自己と「かい離」していく思いがしました。
「私はだれ?」
という感覚。
「●●淳子」は、私ではない。私は、誰なんだ? 何者なんだ?という妙な感覚。
5年間その「●●」という姓で過ごしましたが、一度もしっくりとは馴染めないまま(望んでその姓になったにも関わらず)、強烈な喪失感を味わって、5年後、元の苗字(田中)に戻したら、嬉しいのかと思いきや、再び、「アイデンティティの喪失」に見舞われたのでした。
「田中淳子、って誰だ?」
です。
5年間他の姓を名乗っていて、「私は誰?状態」だったにも関わらず、元の姓に戻ったら戻ったで、また、落ち着かない気分に。
社内では、皆さんにお願いして、「ファーストネーム」で呼んでいただくことにしました。
「●●さん」と言われても、「田中さん」と言われても、どちらも「自分と思えない」
という状況は、たしか、5年くらいは続いたように思います。いや、10年近く続いたかもしれません。
事務手続き云々ももちろんめんどくさいし、負担だし、場合によっては、余計なコストがかかるのだけれど、アイデンティティの喪失というのは、もっと強烈でした。
今、議論されているのは、「選択制夫婦別姓」です。
「選択できる」のだから、「同姓」も選べばいいし、「別姓」も選べばいい。
選べるというのは、とても大事なことじゃないかなと思います。
石井さんの妻は、夫にはナイショで、ずっと「うふふ。うちは、夫婦別姓なのよ」と思っていたのではないかと想像し、それは私にとってちょっと楽しい思い出です。