なぜベテランが新人に仕事を教えるのは難しいのか?
「ほら、君、ベテランなんだから、何でも知っているし、何でもできるでしょう。だったら、今度入ってくる新人の面倒みてやってよ。ちょろいでしょう?新人に仕事教えるの」
といとも簡単に言ってしまうものだけれど、ベテランが新人(初心者)に教えるのというのは言うほど簡単なことではない。
ベテランというのがどういう人なのかといえば、
「ほとんどのことを無意識のうちに成し遂げてしまう能力を持っている」
状態に至った人ということができる。(まだるっこしい言い方であるが)
新人(初心者)はどうか。
「ほどんとのことを意識したところでできないことのほうが多いくらいに未熟」
な人というわけで、この差は天と地ほども大きい。 粒あんとこしあんくらいに大きい。
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事業部で育成担当をしている方が先日、ぼそっとおっしゃっていた。
「ベテランのエンジニアさんって、人に教えるの、下手なんですよねぇ。出来る、のに、教えられない。出来るってことと教えられるってことは全然違うんですよね」
うん、エンジニアじゃなくても、ベテランというのは総じてそういうもんだと思う。
久しぶりに読み直している本に、こういう一説がある。
既存の組織メンバーにとって「自明なこと」は、今、組織に参入してきた個人にとっては何ひとつ自明ではない。しかし、一方、すでに組織に同化している他の組織メンバーは「文化的無自覚性」のなかにいいるため、「既存メンバーにとって自明にあることが、新規参入者にとっては自明ではない」という事実に対してすら意識的ではない。
いや、ホント。
つまり、「当たり前」過ぎることは、当たり前過ぎると、相手にとって当たり前じゃないということすら分からなくなる、ということ。
ベテランが新人(初心者)に教えるのが難しいのは、この点だと思う。
身体が覚えていて、自動的に身体が動いてしまうようなこと。
意識しなくても、自然に頭の中で判断しているようなこと。
これを、「なぜどうしてこうなっていて、どういう風にすればああなるのか」といったことを「言葉」で説明するのはとても難しい。
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先日、7歳の甥に「お箸の正しい持ち方」を教えようと思った。
事前に「正しい箸の持ち方の教え方」といったサイトも熟読して、子どもにも分かりやすそうな説明を頭に入れて本番に臨んだ。
お箸というのは、上側しか動かさないものだ、ということを初めて知った(知った、というか、文字で読んで自覚した)。
動かす側の上の箸を一本だけ持ち、それを動かす練習をするといいとあった。
その持ち方も「正しい鉛筆の持ち方」と同じである、とも。
「正しい鉛筆の持ち方」とは、3本指の先で鉛筆を3点バランスよく支えるもので、親指だけが突き出たり、握ったりはしない。
甥に教える。
「1本だけお箸を持ってみて」
「うん、1本だけ」
「そうそう」
「じゃ、そのお箸を"えんぴつ"のように持ってみて」
「こう?」
ぐわーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん。
甥は、お箸をどう持ったか。
お箸の先っぽ。口に入れるあたりを、「正しい鉛筆」の持ち方で持ったのだった。
「あ、"鉛筆を持つように持つ"だけで、お箸だからね、これは。 もう1回、お箸を持ってみて。そうそう。それを"鉛筆を持つ時みたいな持ち方"をする」
すると、折角上の方を持っていたお箸のうんと下をまた持ち直し、
「こう?」
といぶかしそうな顔をしながら、私の顔を見る。
ちがう、違うのだけれど、なんていえばいいのか分からない。軽くパニくるおばちゃん。
私にとって自明なことが甥には自明ではない。
この日は、打ちひしがれて、お箸の持ち方を教えるのは断念したのだった。
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【『経営学習論』に上記の引用部分が出てきます】