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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「ふつう」と口にした時は要注意。

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今はなき「DEC」という米国のコンピュータメーカーに在席していたのですが、ダンプの読み方が「ふつう」と違う!とよく受講者に怒られました。
「普通は、左から読むでしょう?なんで、右から読むの!?」
「なんで右のビットが下位ビットなの?それ、普通じゃないでしょう?」
などと言われたのですが、自社OSしか知らなかったので、「普通は逆」と言われても、何が普通なのか全く分かりませんでした。

先輩に、
「普通、ダンプは右から読まないと怒られました」と報告すると、
「あ、皆さんの言う"ふつう"って、たいてい、その人が知っている別の、たった一つのOSだから。あまり気にしなくていいよ」
と涼しい顔でアドバイスされたものでした。

幼心に(ってウソです。23歳でした)、「いろんな人が言う"ふつう"というのは、その人にとっての"一つの世界"を表しているだけに過ぎないのだ」と思ったら、気が楽になったものです。はい。

(今、久しぶりに「ダンプ」と書いてみて、一体なんのことだったかな?とそれ自体が思い出せないので、上記の会話が技術的な会話として成立してるのかどうかもすでに怪しい・・・)


さて、ダンプに限らず、

「普通、こういう風にするもんでしょ?」
「普通は、逆でしょう?」
「普通だったら、こう考えるよね」

・・・というように使われる「普通」。

その「ふつう」は、あくまでも「自分にとっての"普通"」であることをつい忘れてしまいます。

似た言葉に、

「当たり前」
「常識」
「基本中の基本」

なんてのもあります。

「そんなの、当たり前じゃないか!」
「常識だよ」
「基本中の基本過ぎて、説明する気にもならない」

などなど。

これもまた、

「私にとっての"当たり前"」
「私にとっての"常識"」
「私にとっての"基本中の基本"」

であることをつい忘れがちになります。

言われた側にとっては、

「えー、そんなの、ふつうだって知らなかったよ」
「当たり前なの、ここでは?」
「それが常識ってこと、今聴いたよ」
「基本かどうかをそもそも習ってないし」

と思っているかも知れませぬ。

今日の格言。

「ふつうふつうっていうけれど、あなたと私のふつうは違う。
あなたのふつう。
私のふつう。

私のふつう。
あなたのふつう。

世界じゅう、人の数だけ、ふつうがあるよ。
                        じゅんこ」


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・・・・・なんだそりゃ。

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