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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

関根雅泰さん【新人育成のためのメンター制度構築のポイント】受講記録①<2015年7月28日(火)>

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株式会社ラーンウェルの関根雅泰さん主催「新人育成のためのメンター制度構築のポイント」セミナーに参加しました。
ほとんど同業者なのに、「同業他社でもいいですよ」と太っ腹な関根さんのおかげです。ありがとうございました。

関根さんのセミナーは、これで3回目ですが、毎回学びが多く、「目から鱗」が100枚くらい落ちます。

今回は、セミナー2時間+ランチョン1時間の合計3時間でしたので、効率と効果を考えて「事前学習課題」が出ていました。
なんと20ページもある、びっしり書かれた「メンター制度に関する知見をまとめた資料を読んできてね」というものです。関根さん特製。
その内容はもう理解しているものとしてセミナーは進めるからね、というこのスタイルは、「反転学習」とか「反転授業」と呼ばれます。
ちょっと流行っています。

「教室に集まってからでないとできないこと」
「教室に集まり、リアルにFace to Faceで人が相互作用ができる環境でこそやるべきこと」
「教室で対面で、リアルな場面であるからこそ効果があること」

にできるだけその時間を費やし、事前に読んでおけばよいようなものはなどは全部済ませておく、というスタイルが「反転学習」です。


「反転」のスタイルを取ると、まず参加者全員が「きちんと性善説に基づいて資料を読み込んでくること」が期待されますが、さすが、人事や人材開発の担当者の方ばかりで、その点は、きちんと実行なさっていました。

私もその資料は、2回読んでから当日に臨みました。



資料自体がもうわくわくするものでした。たとえば、
●メンタリングとOJTの違いは?

・OJT:どちらかというと視点が「現在」「職務」「管理」「短期」

であるのに対して

・メンタリング:「将来」「キャリア」「支援」「長期」

とまとめられる。

OJTというと、ラインの先輩が業務を教える、専門知識・スキルを学ぶ支援をするものを指し、その過程で職場で必要なビジネススキルやコミュニケーションなどを教えたり、ときに悩みを聴いたり、励ましたり・・といった全方向的な活躍が期待される一方で、メンターとかメンタリングというと、「メンタルヘルス」「メンタル」という言葉に語感が似ていることもあって、なぜか日本では、「精神的な支えとしての先輩」「悩み相談」といった位置づけでアサインされていることが多いように感じます。

が、関根さんの資料で示されている整理、分類では、「今か将来か」、「ずばり職務か、今後のキャリア全般」か、といふうに、両者は視点の持ち方の違いなんだよね、と整理されると、ほぉ、なるほどね、と納得。

ただし、これは、企業ごとに定義が異なるはずなので、「うちの会社のOJTとは、こういうことを指す」「メンター制度はここまでをミッションとしている」と明確に定義、言語化しておくことが必要なんだろうなぁと思います。



以下は、「メンター」ということばを「OJT」と同義語としてまとめていきますが、(つまり、業務も教えるし、ビジネスパーソンとしても育てるし、組織になじむための支援もするもの)、メンターはじゃあ、誰のためなのか、も考えなければなりません。

・第一に、メンティ(つまり、新入社員、若手)が成長する

これはもう異存はないでしょう。誰かに指導されることで成長スピードが上がる

・その次にメンター(OJTトレーナー)も伸びる (これを称して「共育」という方もいらっしゃいます。「共」に「育」つ、ってことですね

・さらには、メンター制度があることで、組織全体が「人を育てる風土」になっていく
(実際には、その組織の上司の思惑、考え、哲学が大きく影響することは、私も常々実感しています。育てる意慾と医師のある上司がいる組織は、「育てる風土」が育まれやすい)

要は、メンタリング(OJT)をすると、皆が成長しちゃうのですね。

では、

●メンターのゴールは何か?

「その組織になじむこと」「組織に適応すること」が最初のゴールのはず。

関根さんの事前課題資料には、「適応促進」と記載されています。

・新入社員が組織に適応したと判断できるのは、
「役割の明確化」
「自己効力感」
「社会的受容」
の3つの観点があるとのことです。

つまりは、
・役割の明確化:朝出社したら、これをするんだな、と自分がすべきことがちゃんとあって、それが分かっている
・自己効力感:なんとかそれが自分にできそうと思える (自己効力感は、バンドューラが提唱した言葉としてよく知られますね)
・社会的受容:皆に受け入れられている状態(存在を認められているとか名前を憶えられているなんてのもここに入るのかな)
があれば、新入社員は、その組織に「適応」した、と見てよいと。


これを実現させるために、
●みんなで寄ってたかって育てること
も大事、なんです。(これは、私も以前からずーっと言い続けていることです。現場のOJT事例を聴くと、成功しているOJTは、必ず、上司や他の先輩も当事者の一人として新入社員の育成に携わってくれています。そういうムード作りがうまくいくと、新入社員とメンター(OJTトレーナー)だけの閉じた世界でのOJTではなくなり、大勢の関与の中で進む開かれたOJTになっていくわけ、です。「核家族の子育て」ではなく「地域社会での子育て」みたいなもの・・とよくたとえますが、最近、「核家族と言われても意味わかんない」と言われたことがあります。笑)

大勢にもんでもらうことが結果的には新入社員の「組織社会化」にもつながり、早期立ち上げにも役立つのです。


セミナーで講義したり、いろいろな企業の方と対話したりしているうちに、いくつかさらに考えたい疑問やテーマが出てきました。

●グループの議論の中で「メンターは社内じゃないとダメなんだろうか。」という話が出ました。

その視点は考えたことがなかったので、びっくりすると共に、もし「企業を超えたメンター制度」が出来たら、非常に面白いなぁとも思いました。でも制度として、というのはどうすればよいのだろう、と考えて込んでしまいますが。

●新人には、「はい、この人がメンターね」と会社側からあてがわれてしまうけれど、メンターは本来「自分で見つけるもの」なんじゃないかという指摘もありました。確かに!

「この人が私のメンターだ」と自分で見つけて「師事するようなもの」なんじゃないかというわけです。これは、私の提唱する「心の師匠」と同じ位置づけですね。

●大勢の他者(同質の他者、異質の他者)が関わることは総じて新入社員の能力向上に役立つのだけれど、異質の他者が関わることで唯一マイナスに作用するのが「メンターと違うことを教えちゃうという"独自指導"が入る」という点だという話がありました。

確かに、新人にしてみれば、「あの先輩とこの先輩の言うことが違う」「誰に聴いても皆それぞれのことを言う」というのは混乱の素ですが、では、それが絶対いけないのかというとそんなことないのではないかとも思えてきます。

新入社員のメンター制度において、

1.全体で、大勢で、組織を挙げて「寄ってたかって」育てること

→これは、大前提であり、絶対に「新人」にも「先輩」にもよい結果をもたらすもの

だと思いますが、

2.人によって言うことが違う、という事態を極力避けるために、「指導方針」を決め、周囲と意識合わせしておく

というのも手ですし、実際にそれでうまく言っている企業も多いものです。

それでもなお「人によって言うことが違う」としたら、「それはそれでいいんじゃないの」と私は思っています。

「だって、それが社会だもの」(みつを。 ←笑)

人によって言うことが異なる中で、「何が正しいのか」を見つけ出していくというのも十分「リアルワールド」であり、その能力を身に着けることも大事だと思うんですよね。

上司も先輩も、新人のためだけに仕事しているわけではないし、新人だけのためにコミュニケーションの仕方を変えるのも難しい。そして、大勢の他者の中で仕事をするということは、人によって信念とか価値観も異なる中で、人によって言うことが違う!けれど、それでも、自分で考えて判断していくことを求められるということでもあり、ある程度致し方ないのではないでしょうか。

そういう多様性の中でもまれるからこそ、余計に、自分の価値観や信念といった軸も醸成されていくんじゃないかなと思ったりもします


・・・以上、セミナーレポート第一弾でした。

次は、ちょっと違う視点からセミナーレポートをしたいと思います。(思っているだけで、続編が出来ないエントリーがこのブログには多々ありますが)

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最近、いろんなところに勉強に出かけており、その都度、「ブログ書くまでがセミナーです」などと一人つぶやいているのですが、実際には、まとめる時間がなかなか取れなくて、全体的に遅れ気味です。

昨夜も、大島武さんの「プレゼンテーション」セミナーに行ってきて、とても勉強になりました。これもまた別途まとめたいと思います。


   

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