企業は本当に「自分で考え、自分から行動する人」を求めているのだろうか?
先日、毎日新聞に「リクルートスーツ」に関するこんなコラムが。
「年々黒づくめになって、どんどんと同調圧力が増しているようだ。デパートで少しでも柄の入ったものを買おうとすると、店員も"本当に真っ黒じゃなくていいですか"と念を押すし、大人たちが若者に圧力をかけているんじゃないか。」「若者も服装ごときで選考をはねられてはたまらないので、コスプレ気分で黒づくめを装うのでは」なんてことが書いてありました。(すごく意訳。
かねてより、リクルートスーツの「真っ黒」なのには、違和感どころか、やめたらいいのに、と異を唱えているのでありますが、年々真っ黒度合いが増している気がします。
買い手市場においては、何で落とされているのかもわからない状態でしょうし、そうなると、服装なんかで「悪目立ちしても」と、結果的に「制服」のような恰好をする気持ちはわからなくもない。
でもやはり、そんなに真っ黒じゃなくたっていいじゃないか。もっと若者らしい明るい色合いのスーツでもいいじゃないか、と思うのです。
就職のための活動ですから、Gパン、Tシャツということではなく、相手への敬意は、「ふつうにスーツを着ている」ことで十分表せる。葬式のような真っ黒じゃなくても。(以前も書きましたが、リクルートスーツという言葉はすでに30年前にはあって、同期の皆が紺無地を着ていた時、私は、「モスグリーン」を選ぶという、まあ、へそ曲がりな人だったのですが、それでいいと思うんです)
・・・けれど、一方で、人事採用担当もそこに誰も異議を唱えていない気がして、不思議でしょうがないのです。
企業の方に、どういう人材が望ましいですか?と尋ねれば、100人いたら101人が口をそろえて、
「はい、それは、もう、自分の頭で考えて、自分で判断して、自分でしっかりした意見を持って、自分から行動する人です」
とおっしゃいます。
だとしたら、まっさきに「就職活動の黒スーツ」に違和感を覚えてもしかるべきと思うのですね。
どこかの企業が(それも影響力のある企業、たとえば、就職人気ランキング上位3位までくらいの企業が)、
「もうね、真っ黒くろなんてやんなくていいから。 スーツでありさえすれば、オッケーだから」
と「新卒募集ページ」に書いて、それがYahoo!ニュースなんかで取り上げられたらいいのに。
黒づくめ集団の行列を見ていると、誰が彼らをこんな風にしてしまったんだ、と悲しくなります。
(彼らをそうしたのは、大人世代であって、若者は、考えていないから黒なのではなく、考え抜いた結果の「黒」チョイスなはず。)
本当に企業は、「自分で考える人」を求めているのだろうか・・・と、黒黒集団の行列をあちこちで見かけるようになった3月。
むむーと考え込んでしまうのであります。