第14話:なんとなくこうなった
「将来何になりたいか」に関する最初の記憶は幼稚園時代にある。
お絵かきの時間に「将来なりたいもの」を描くように言われた。五歳の私は「あれもこれもなりたい」と一つに絞り込めず、画用紙を前にうなっているうちに授業時間が終わりそうになった。
先生に「なんでもいいからかいてごらん」と言われた瞬間、涙がぽろぽろ流れ落ちた。
多過ぎて困り果てた末の涙だったはずなのに、この時私の頭を巡っていた数え切れないほどの「なりたいもの」が何だったのか、今となっては一つも思い出せない。
小学校時代は、学校の先生になりたかった。多くの職業をまだ知らない小学生が思いつきそうなことだ。
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我が家では、父の方針で中学生になると「将来何になりたいか面接」があった。
私は「学校の先生になりたい」と両親に告げた。だから、中学時代・高校時代は漠然と「教師になる」ことをイメージしていた。
大学受験浪人中、「カウンセラー」という職業の人が書いた新聞連載を見つけ、面白かったのでスクラップしていた。「心理学を修めてカウンセラーになる」と方針変更も考えた。ところが調べてみると、どの大学の募集要項にも「心理学では統計を扱うので数学も必須」とあったので断念した。数学はからきしダメだったからだ。
次に「心理学」と似た領域で「教育学」を学びたいと思うようになった。教師ではなるためではなく、「教育学」という学問自体に興味を持ったのだ。その結果大学では文学部教育学科に籍を置いた。
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四年生になる頃、「就職というものをしなければならない」と考え始めた。
ところが、働く自分の姿が全く想像できず、何から手をつければよいのかわからなかった。
「ああ困った。卒業したら何かしないと。でも、何を?」と悩むなんて、全くもって呆れた学生である。
そんな時、ゼミの教授のところへ相談しに行った。「私は何をすればよいでしょうか?」といった内容だったような気がする。なんとも間抜けな相談だ。それでも教授は、「これからはコンピュータ業界がいいんじゃないの?」と親身にアドバイスをくださった。
「コンピュータがこれからは世の中の中心になるだろうし、そうすれば在宅勤務のような体制も整うだろうから、女性にはいいかも」と。
会社員になるなら外資系の方が合いそうな気がした。
受けたのは、学生向けリクルート雑誌に載っていたDECというコンピュータメーカー(現在は合併の末、ヒューレット・パッカード社になっている)だ。当時としては珍しく「職種別採用制」をとっていた。「ここに入りたい!」と思い、「技術教育エンジニア」として入社できた。「教育」に関係し、教授の薦める「コンピュータ」業界でもある。
「コンピュータの会社に就職したのは、先生が〝これからはコンピュータ業界じゃないか〟とおっしゃたからです。ありがとうございました」と同窓会の席で教授に感謝を伝えた。
「ボク、そんなこと、言ったかなあ」と教授はきょとんとなさった。全く覚えがないそうだ。
人生の大事なことは他者との対話で方向が決まる割に、往々にして話した本人は覚えていなかったりするものだ。
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DECで就いたのは、エンジニアに対してIT技術を教える仕事だ。
「数学がダメ」なのに、ここへ来て二進数の世界。やはりセンスがなかった。この道の先はないと思ったので、後輩にプレゼンテーションの仕方を教えるようなことを細々と始めた。
入社4年目、27歳の時、そういう私を見ていた上司が、米国本社の「コミュニケーション研修」を受けては?と提案してくれた。
「コンピュータ技術の世界では後がない」崖っぷちな気持ちでいた私は迷わず渡米した。
その時の米国出張で受けた研修に衝撃を受けたことがきっかけとなり、ヒューマンスキル分野の人材育成を手がけることになった。今ではそれが私の主な仕事である。
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節目節目で何かを見たり読んだり、誰かと会話を交わしたりしているうちに進む道が決まった。いつ誰と何を話すか、何を見て何をするかで生きていく方向が変わることもある。
スタンフォード大学のクランボルツ氏が述べている「計画された偶発性理論」を知った時、〝ああ、なるほど〟と腑に落ちた。
「キャリアの大半は偶然に左右されている。だが、その偶然は自分の行動が作り出している」といったものだ。偶然の積み重ねで今の自分があるのだと思うとちょっと楽しい。
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会社員としての第一歩は3月31日に踏み出した。月曜日だったため、通常より一日早い入社式。新入社員研修の都合だろう。
学生の時は「会社員なんてきっと向いていない」と思っていたのに、今日から25年目。
やってみたいこともまだまだ沢山ある。さあ、また1年頑張るか。新しい偶然を引き起こすために。
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「朝イチメール」(または、『コミュニケーションのびっくり箱』再録です。掲載は、2010年3月31日でした。)
本日より、社会人29年目に突入。3年で辞める(続かない)だろうと思っていた学生時代も遠い昔のこととなりました。
この記事を書いたのは、4年前で、今とはちょっと考えも異なるのだけれど、掲載当時のままにしました。