第10話:成増
東京の東武東上線という私鉄に「成増」(なります、と読む)という駅がある。
車内放送では、「次は、なりますぅ、なりますぅ…」と言う。これは駅名だからよろしい。
だが、日常会話での「なります」については、気になって仕方ない人が大勢いるようだ。
ある人が言う。
「あのレストランに行くと、〝こちら、デザートのチーズケーキになります〟〝こちら、コーヒーになります〟といちいち言うのよ。小さくイラっとしちゃう」
彼女曰く、
「クリームチーズの塊をお皿に乗せてきて、〝これが今、チーズケーキになります! ホラっ!〟とマジックみたいにやって見せてくれるならわかる。空のコーヒーカップを持ってきて、〝こちら、ただいまからコーヒーになります。イチ、ニ、サン、はいっ!〟とコーヒーを出してくれるなら、納得だ」。
なるほど。
同じようなことを同僚も言っていた。「こちら見積書になります」と言われるが、「もうなってるじゃん!」といつも心の中で突っ込んでいるそうだ。
「こちら見積書になります」
「もうなってるじゃん」
「こちらコーヒーになります」
「もうなってるじゃん」
ひっかかりを感じる言い回しは他にもある。
たとえば、買い物の際、千円札を出すと「千円からお預かりいたします」と言われる。
その「から」の意味がわからない。引き算のニュアンスを暗に含むのだろうか。
「お客様がお求めになる730円の商品に対して1000円をお出しになったので、1000円<から>730円を引いた270円をお返しする、という前提で、一旦1000円を<お預かり>します」という意味での「から」「お預かり」だろうか。
「お預かり」も少し妙で、730円ぴったり出した時も「730円お預かりいたします」と言われる。
この場合の「お預かり」は「ワタクシ、アルバイトでレジ担当をしております。店主に代わり、730円をお預かりいたします」という意味か。
母は、これが凄く気になるそうで、一緒に買い物に行くと時々、「お預かりします、じゃなくて、いただきますとか頂戴します、でいいんじゃないのかしら?」と店員さんにアドバイスなんかしている。
「よろしかったでしょうか?」も最初耳にした時にはとても驚いた。
ランチタイム、「A定食をお願いします」などと注文する。すると店員さんが「コーヒーは食後でよろしかったでしょうか?」と聞く。
『コーヒーについてはまだ話していないのに、なぜ、過去形?』と違和感があった。
この表現もあっという間に広がった気がする。
最初は、『その件は今初めて話すのに、〝よろしかったでしょうか?〟と過去形で尋ねられても…。〝よろしいでしょうか?〟と聞いてくれるといいのになあ』と思っていたが、だんだん慣れてきた。(地域によって「よろしかったでしょうか?」と過去形で尋ねる話法がある、と聞いたことがあるので、間違っているわけでもないのかもしれない)
「ほう」も気になる表現だ。
ある時、何かの提案で来社した営業担当者が「ほう」を連発する人だった。
「こちら、提案書のほうをお持ちしました。先日のお打ち合わせのほうで、お聞きした内容のほうをまとめて参りました。私のほうが説明のほうをさせていただきます」といった具合だ。
「ほう」と言われると、「A」と「B」があって、その「Aのほう」というように、片方を指し示すのが一般的な使い方ではないかと思う。
営業担当者が複数人で来社され、「私のほうが説明・・」と言われれば、「あ、説明は、○○さんがしてくださるのね」とわかるわけだが、この時はお1人だったから、「私が説明…」で十分である。
こういった言い回しを「ファミコン言葉」と呼ぶこともあるようだ。主にファミリーレストランやコンビニエンスストアで使われることの多い表現という意味のようだ。
ファミレスやコンビニが身近な存在になってきたため、多くの人がそこで耳にする言葉を自分も使うようになってきたのかも知れない。
今度「今日の訪問先の最寄り駅は?」と上司に聞かれたら、
「成増になります」と答えてみようか。
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★「朝イチメール」(または、『コミュニケーションのびっくり箱』(日経BPストア))の再録です。
掲載当時の原稿に多少加筆修正しました。
3月に入り、平成26年度新卒新入社員の入社まで1ヵ月を切りました。迎え入れる側も徐々にOJTの準備をし始める頃かもしれません。ビジネスマナーは現場で実践的に教えることが多いので、1冊くらいマナーの本を読んでおくと、自分の復習にもなってよいと思います。意外と忘れていることが書かれていて、ベテランでも目からウロコです。