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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「あなたは”腐ったみかん”」と言われたことはありますか?

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新人かそれに毛が生えていたころのこと、リーダー(9歳年上)の男性から「田中さんは腐ったみかん」と言われたことがある。

その時の想い出を@IT自分戦略研究所で「地味」にやっている連載コラムに書いた。

詳しくは、そちらをご覧いただくとして・・・。→→ コチラ

この言葉を発した先輩は、とても不思議な方だったのだが、何くれとなく、出来の悪い私に「ちょっかい」を出してきた。 いや、「ちょっかい」というのは、その時私が感じたままを表現しているのであって、実際には、「ダメダメ新人の世話を焼く、面倒を見る、なにくれとなく気にかけている」というのが正しいと思う。今なら、それがわかる。

その先輩が、数年前に亡くなった。亡くなったと聞いたのは、元同僚からで、間接的な間接的な間接的な経路で来たので、にわかには信じられなかった。

だって、9歳違いで、まだ50代後半に突入したばかり、といった歳だったはずだから。

ご病気だったようだけれど、詳しいことは知らない。

不肖の後輩に対して発した数々の言葉というのは、「できは悪いが、記憶力だけは抜群」という私の手によってこうしてコラムになり、再び、何千、何万(そんなにPVがあるとは思えないが)の目に留まる。

先輩の言葉は、こんな風にいろいろな人のもとに届く。

そして、その中の誰かが、「そうか、そうだったか」「ほっとした」「いいよね、それで」と安心したり、ほっとしたり、自分を許すことにその言葉を役立ててくださるかもしれない。

人の死というのは、肉体的なそれを指し、この星からはいなくなってしまうけれど、その人が作ったものや残した言葉はこんな風に後世に残ることがある。

もちろん、先輩自身に「ブログやコラムに書いていいですか?」と尋ねていないので、「おい、田中さん、そんなところで使うなよ!」と怒っているかもしれないけれど、悪口を書いているわけではないのだから、まあ、いいじゃないかと思う。

不肖の後輩のまま、仕事場が離れてしまい、特に恩返しをした記憶もないのだけれど、言葉をきちんと覚えていますよ、ということと、それが誰かの役に立っているかも、ということは、ほんの少し、恩返しにもなり、そして、供養にもなるのかもしれない、と、勝手に思っている。


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