異なる年代の、本当の気持ちはわからないのではないだろうか。
先週、PMシンポジウム2013、2日目にセミナーを担当しました。50人ほどが集まってくださり、熱心に参加してくださいました。
2007年くらいから毎年お招きいただいており、いままでは、スクール形式で行っていたものを思い切って、グループ形式にしました。1時間の講演であってもかならず隣同士で数回は話す時間を設けているのですが、グループ形式にしたことと2.5hあったことで、5回くらいのペアワークまたはグループワーク(対話、または、ロールプレイ)を入れました。どれも楽しそうにやってくださいました。ご参加の皆様、ありがとうございました。
最後のQ&Aセッションで、こんな質問が出ました。
「とても優秀なできるタイプの若手に、もっと高いレベルのことを挑戦させようとすると、腰が引けていて、”これ以上はやらなくていい””これ以上は成長しなくていい”という反応を示します。聴けば、給料もポジションも上がらなくていいし、現状維持でいいといいます。いや、下がっていくよ、と言う話をしても、それでもいい、と。こういう人にどうやって”やる気”の火を灯したらいいのでしょう?」
こんな内容でした。
最近、といっても、ここ10年くらいでしょうか。
「ほしいものもないし、給料も上がらなくてもいいし、給料下がってもいいし、ポジションもこのままでいいし、成長もしなくてもいいし」
と、「低温動物」のような反応を示す人がいる、という相談、質問はよく聞くようになりました。
20年前30年前でもいたでしょうが、ちょっと増えているかも、と。
今の20代といえば、生まれたのが1980年代半ば~1990年代ということでしょうが、彼ら・彼女らにとって「欲しいもの」というのは、非常に身近なものになってきています。
たとえば、私と同世代は、車がほしい、免許がほしい・・・と思ったものですが、今は、免許いらない、車?いらない・・・という人も多い。
もっとさかのぼってみれば、子供のころ、「ああ、一人部屋がほしい」「自分の机がほしい」と思っていた世代が今は5-60代でしょうが「一人部屋?当たり前じゃん」な世代が2-30代だろうと思います。
「○○がほしい」
「大人になったら自分のお金で○○を買おう」
といったモチベーションの素を、それほど持たずに大人になったのではないかと思うのです。
だから、ワークモチベーション(働くモチベーション)の素が何なのかは、年長世代には、完全には理解できないかもしれません。少なくとも、私は、本当に理解できているとは思っていません。
それで思い出したのですけれど、
私(50歳)よりうーんと年上の世代からこんなことを過去言われたことがあります。
たとえば、20代のころ。外部セミナーで同席した他社の管理職の方(たぶん、40代後半。つまり20歳くらい年上。現在70歳くらい?)
「へぇ、結婚しているの? で、いつまで仕事続けるの? え、いつまでも? へぇ、旦那さんの理解があるんだね」
「 (´・д・`) 」
あるいは、10年数年前のこと。アラカンの上司が、30代の男性にこんなことを言うのを聴きました。
「何? 家事を奥さんと分担しているだって? だらしがない!」
「(# ゚Д゚)つ 」
・・・・・
何の悪気もなく口にされたのでしょう?。
「いつまで仕事するの?」
「だんなさんの理解があるんだね」
「家事分担だって? だらしない!」
・・・・・。
価値観、ものの見方が違う。
発言者より20歳ほど若い私が、「えー、そんなの当たり前じゃん、疑問に思われる理由がわからん」と思ったように、冒頭の質問者の若き部下も、「えー、なんでそんなに”○○のために頑張る!”って思わないといけないの? 給料もポジションも上がらなくてもいいし、欲しいものもないし」と思っているのかもしれない。
人間、一人ひとりはもちろん異なります。とはいえ、生きているその時代、その時代の空気とか考え方というのは、多少なりとも思考に影響を受けるもの。
理解しようと努力はしても、どうしても「わからない」部分はあるだろうなあと思うのです。
だから、まずは、自分の価値観、ものの見方を押し付けるのではなく、「異なる見方」はないかな? 相手はどう世界を見ているのだろうな、と寄り添うことから始めることくらいしかできることはないのかな、とも・・。
ところで、冒頭の質問者へどう回答したか。
「達成感とか”自分でできた””やったー”を味わったことがない、または、少ないと、挑戦すること自体に及び腰になることはあるかもしれませんよね。”やったー”という経験を小さくてもさせることと、それをしても大丈夫、という”安心感”を与えられる環境を整えることが、まずできることかなあと思います・・・」
でした。
全く燃えていないように見える若手でも、やはり「他者から喜ばれたい、認められたい」欲求はどこかで持っているはず、と思うのです。
人は「誰かに褒められたい」と思って生きていると私は信じているから。