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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

自分で断ち切れるストレスの素もあるし、自分じゃなければ断ち切れないストレスの素もある。

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10連休の夏休みを経て、本日(10/9)から仕事復帰です。「特撮博物館」は堪能したし、「東京ディズニーランド」には20年ぶりに行くし、甥っ子(3歳4か月)とは2回も遊べたし、加圧ジムは2回、ふつうのジムも5回行ったし、その上、家の中のだんじり、いや、断捨離もかなり進行し、すっきりすっきり! 体調もとてもよくなり、元気元気。

ところで、断捨離です。

本を110冊処分しました。これで、すべての本が本棚に収納されました。
靴も5-6足捨てました。靴箱に隙間ができました。
洋服は3辺合計150cmの段ボール1箱分を処分しました。
その他、なんとなく突っ込んでいた何かをお揃いの容器に入れ直してみたり、
出しっぱなしだったものをあちこちに仕舞い込んだりして、
部屋が広々、というより、「すっきりした感じ」になりました。

常にこれがストレスの素だったのですよね。

「ああ、たくさんの本が本箱からもあふれて机に積んである」とか
「いつかはくかも、いつか着るかもという靴や服がある」とか。

だいたい、「いつか」なんて、たいていの場合「来るはずもない」のに捨てられず、でも、存在そのものが気になる。 だからストレスの素になる。本もそう。本箱からあふれていること自体がストレスの素。

こういう「身の回りのストレスの素」は、自分がなんとかしなきゃならないし、自分がなんとかできいる代物でもあります。

今回、10日休みが取れたので、これ、断捨離に有効でした。「明日も休みだ」と思うと、いったんはカオス状態になっても平気。土日の2日間程度では到底根本的な解決が図れないので、一旦は出す、並べる、分別する、並べ直すなど、時間をかけて整理しました。

この段階で、こんまりさんの「ときめく」か「ときめかない」か、という基準は結構便利です。

「この本、ときめかない」
「この靴、ときめかない」
「この服、もう全然ときめかない」

とぶつぶつ言って、分けていく。

それで思い切って、処分。
処分した後の部屋の中を流れる、空気もさわやかになった気がします。

仕上げは、夏休み最終日の昨日(10/8)、我が家で行ったホームパーティ。友達やその甥っ子ちゃん(3歳)、妹とその息子(甥っ子)を招いて、ランチしました。人を招くためには、大掃除が必要になり、断捨離の仕上げとしては最高です。

今朝起きたら、とても気分がよい。だから、朝からまた掃除しました。

当たり前なんですけども、汚れているのを見ているのがストレスで、汚れているのを放置しているのはほかならぬ自分なのですよね。思いっきり汚れてから掃除するから時間もかかるし、汚さないようにする、出したらすぐ片づける、「いつか使うかも」と言わず、すぐ捨てるなどできれば、ストレスの素を増やさずに済みます。

まあ、こんなこと書いていても、性分というのはそう簡単に矯正されませんので、2週間もするとまた元の状態に戻るかも知れませんが、続くところまで続けてみようかと思います。

ストレス解消について、
1.ストレスと思わないようにする・・・散らかった部屋でも平気な人になる
2.ストレスの素を作らない・・・常に片づける
の2つの方法があると思いますが、自分に起因する「ストレスの素を作らない」というほうが、健康な魂を育てられそうで、2.を当面頑張ります。

ところで、「スパイスラック」にスパイスの瓶がたくさん並んでいるのですが、「賞味期限」を確認したら、一番歴史のあるもので「1994年」という物件が発掘されました。オレガノだったかパプリカだったか・・・。私、4年前に引っ越してきているので、前の家から持ってきたものです。なぜ、その時点で処分してないのでしょうか? 

スパイスなので、20年物でも大丈夫な気もしましたが、ここはひとつ、思い切りよくすべて処分しました。そして、翌日再度チェックすると、「2004年」という物件を再発見。実は、「1994年」物件に驚きすぎて、「2004年」をいったん仕舞い込んでしまったようです。無意識に。「まだ新しい」と脳内で勝手に判断して。これだって8年経っているので、これもまた改めて処分しました。

台所回りは、歴史的な品々が時々発掘される場所ですね。

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