夜回り先生・水谷修さん「いのちの授業」~上智大学グリーフケア講座3(10/18)より~
10月4日から、再び、上智のグリーフケア講座(秋季、全10回)を取っています。上智の社会人向け講座は、1999年秋から通い始めたので、これで大学通学?14年目に突入です。我ながらよく続くなー。
さて、グリーフケア(悲嘆ケア)講座。250人の教室に満席状態でスタートしており、前回2回目は香山リカさんが講師でした。精神科医から見たグリーフケアについて語ってくださいました。(こちらの内容は、まだうまく消化できていないので、ブログに書いていません)
昨晩3回目の講座は、かの夜回り先生こと水谷修さんの講義。90分、ド迫力のお話でした。投影資料なし、配布資料なし、エネルギッシュなお話。
今でも週2日は夜回りをなさっているそうです。 23時から街を歩く。子どもたちと接するためには自分の場所に呼ぶのではなく、自分が子どもたちのいる場所にいくべき、というのが信念だとか。そして、子どもの予想を裏切る行為をするから、だんだんと心を開いてくれることが多いそうです。たとえば、中高生でたばこを吸っている子が大人(水谷さん)に見つかって、「バカヤロー」とか「こらっ!」と叱られるだろうと構える。ところが、水谷さんは、満面の笑みで近づいていき、「ちゃんと片づけろよ」みたいなことしか言わない。子どもにとっては気味悪い。 そういうことを繰り返しているうちに、子どもは、自分の夢とか希望を語り始める。そうしたら、そこに何かの手を差し伸べることもできるとおっしゃっていました。
さて、90分の中で、いくつか、心に残り、メモできたことを以下に列挙しますね。
●不登校とかいじめ・いじめられの子どものかなりの割合で、幼いころからたとえば夫婦不仲を見ている、悪口や喧嘩を見続けてきた子どもである。 親や周囲の大人は、子どもに「怖いもの」「悪口など恐怖をもたらすもの」「悪い空気を伝えるもと」を見せてはいけない。 夫婦喧嘩をしているところを幼子に見せること自体が、すでに「児童虐待」なんだと心得てほしい
→ この話の時、「夫から褒められるのと叱られるのとどちらが多いですか?」「子どもを褒めるのと叱るのとどちらが多いですか?」という会場への問いかけもありました。日常に「よい言葉」「きれいな言葉」があふれた環境を作っていますか?と投げかけられたのだと思います。
●いじめは、子ども同士の問題ではない。おとなや社会の問題だ
●心身の分離による心の病。健全な肉体にしか健全な精神は宿らない。頭は疲れ、体は疲れていないから不調になることもある。そんな時、心についてどうこうしようと思うよりも肉体を疲れさせてみるのも手だ
→ これ、とても共感します。「下手な考え、休むに似たり」で、悩みがあるとき、それを室内で悶々と考えているからよけいに悩みが深くなる。そういう時、長距離ウォーキングに行ったり、泳いだり、あるいは、家事を一生懸命したりすると、身体が疲れてそのうちすっきりしてしまうことがあります。 心のケアを心のケアから入るのではなく、肉体から入るというのも考えようでしょ?とは自分でも実感することでした。
●子供に包丁を持たせるまでに何年もかけるし、いざ持たせる時も危険だからと十分使い方を教えるし、脇で見守るでしょう? それなのに、包丁よりもある意味とても危険なケイタイ・ゲーム機・インターネットには何の教育もせずにすぐ触れさせちゃう。 子どもにあれらのものを与えるのはとても危険だと思っている。健全な精神をはぐくむことに邪魔になる
→ 包丁と同格で考えたことがありませんでしたが、そういわれると、そうだなあ、と目からうろこです。
●この世界で起きていることに私たちは皆参加している。加担もしている。そう自覚すべきだ。いじめも不登校もそういうことをもたらしている社会に自分たちが参加している。だから、誰もが無関係ではいられない。
●生き方は、言葉で教えてはいけないし、教えることはできない。親や大人のやっている姿で示すしかない。周囲の大人・親が自分の行動で示していれば、子どもは自然にそこから学ぶ。たとえば、「人に親切にしなさい」と何べんも言葉で言い続けるよりも、親自身が「人に親切にする」「姿を見せる。「勉強しなさい」とくどくど言うよりも、親が「学んでいる」、そういう姿が大切なんだ
→「生き方は言葉では教えられない」。そうか、そうだ。 これは、企業の人材育成でも通じる話だと思います。上司が「自発的になれ」とか「自分で考えろ」とか「積極的に動け」というよりも、上司自身が「自発的に、自分で考え、積極的に動いて」いる姿を見せるほうが部下はよほど学び取るものが多いはず。
●いのち。自分の命は、親、祖父母・・・と遡って行って、誰一人として死んでいないから、つながってきたもの。自分のいのちは、脈々と紡がれてきたもの。でも、その途中で、自分やその祖先をいのちをなげうって助けてくれた誰かのおかげもあるだろう。そうやってつながれたいのちは、感謝しながら大切にしていかねばならない。
そして、最後に、こうもおっしゃっていました。
「自分が幸せでなければ、人を幸せにはできません。だれかを救おうなんて思わない。まずは、自分が幸せになる。その幸せのかおりを全身から出す。それを見て、周囲がよい影響を受ける」
・・・・・・・・・
「自分が幸せであることが第一。その上で誰かのために何かをしよう」ということは、春季講座で僧侶の神さんもおっしゃっていたことでした。
本当にそう思います。
自分がまず幸せで、幸せ気分を味わうこと。そしてそのオーラを周囲にまき散らすこと。
「幸福感は伝播する」・・・とは、友人でモチベーションコンサルタントの菊入みゆきさんもおっしゃっていました。玄田有史さんも同様のことをおっしゃっていたし。
大事なことですね。
水谷さんのお話には、いじめ、薬物依存、リストカット、援助交際、その他、もっとすごい話はたくさんあったのですが、そこはちょっと聞いていてつらかったのと、すごいスピードでメモも取れなかったので、関心ある方は、ご著書をご覧くださいませ。
なお、冒頭で主宰者の高木慶子シスターからご紹介があったのですが、水谷さんは、ソフィアンだそうで、「先輩だったのか!」と少し親近感を覚えました。(ソフィアン:上智大学卒業生)
*追記*
一つ、大切なことを忘れていました。 水谷さんが、「どの子が薬物依存になろうと思って生まれてきたのか。どの子が喧嘩に明け暮れて、自分の体売ったり、誰かを傷つけたりしようと思って生まれてきたのか」。子どもは、何も穢れなく生まれてきて、一生懸命自分の足で立とうとして、前向きに成長して行くでしょう? 子どもの心を傷つけ、汚していくのは、社会であり、それを構成しているわれわれ大人でしょう。無関係ではいられないのですよ。
・・・このくだりで、ぼわーっと涙出てきました。甥っ子のことを思ったからです。3歳。すくすくと幸せに育ち幸せな人生を歩んでほしい。こころからそう願った夜でした。
(私はかなりガマンしましたが、周囲では何十人も泣いていましたー。話に共感したというよりは、自分に投影したのだと思います。その気持ち、すごくわかる。)