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「慈悲の瞑想」を習った‐グリーフケア講座(7)

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毎週木曜日夜通っている上智大学グリーフケア講座。夕べは、たしか7回目。

輪講形式で進んでいますが、昨夜の講師は、神 仁(じん・ひとし)氏。51歳の僧侶。全国青少年教化協議会主幹。 臨床仏教研究所上席研究員、とプロフィールにあります。

グリーフケア研究所・高木慶子所長(シスターです)が司会進行の中、”衣”をまとった僧侶が檀上に。場所は、上智大学。不思議な感じ。

神氏は、3.11以来、月の半分くらいは、東北に行き、様々な支援活動をし続けているということで前半の60分くらいは、そのスライドと解説が続きました。 移動ハーブティサロンを開いたり、読経をしたり(読経は、想像以上に”癒し”の効果があったそうです。いつの間にか人が集まってきたとか)、あるいは、話をただただ聞いたりと。

僧侶であっても「グリーフケア(悲嘆ケア)」を学んだことがない人が多く、現地で二次被害を引き起こしてしまうケースもあったとか。たとえば、傾聴がうまくできず、慰めようとして、かえって相手のプライバシーに踏み込んでしまう、というような。そこで、僧侶を集めた「グリーフケアのための勉強会」も開催したということでした。スライドには、水島弘子さんが映っていたので、傾聴の練習などもなさったのでしょう。

さて、最後の最後に、「慈悲の瞑想」というものを教えていただきました。

以下のように毎日行ってみましょう、とのことでした。

※姿勢を正して目をつぶり顎を引く。そして、以下を心の中で唱える。

1. 今日一日、私が幸せでありますように。
2. 今日一日、私の家族が幸せでありますように。
3. 今日一日、私の仲間が幸せでありますように。
4. 今日一日、日本のすべての人たちが幸せでありますように。
5. 今日一日、世界中のすべての人々が幸せでありますように。
6. 今日一日、私が幸せでありますように。


・・・・ただただ唱えるのだそうです。

最初と最後に「私」の幸せを祈るのはなぜか。

「自分がまず幸せ」でなければ、「他者のケア」には関われない。もし、ただただ他者優先で行ってしまえば、バーンアウト(燃え尽き)する可能性もある。だから、最初に祈るのも最後に祈るのも、「私の幸せ」。

私が十分幸せで、そして、他者の幸せのためにたとえばグリーフケアをする、というのです。

今朝、例によって5時に目が覚め、ベッドの上でさっそくやってみました。

「今日一日、私が幸せでありますように。今日一日、私の家族が幸せでありますように」

「家族」と唱えつつ、家族一人ひとりのいつもの様子が映像のように頭に思い浮かびました。

「今日一日、私の仲間が幸せでありますように。」

ここで、仕事やプライベートで私を援けてくれる多くの友人・知人がまた生き生きと瞼に浮かんできます。ああ、大勢に援けられて生きているなあ・・・・。あの人、この人、今、元気かな? どうしているかな、などと思いながら・・・。

・・

これを2回繰り返して唱え(ココロの中で)、とてもシアワセな気分でベッドから立ち上がりました。

そういえば、昨年、PMシンポジウム2011で、災害の専門家のお話を聴いたとき、「災害があったとき、対処の順番は以下の通り。」として挙がったのは、

1. 自助
2. 共助
3. 公助

でした。「まず、自分の身の安全を確保しなさい。自分自身を助けなさい。その上で近くの人を助けなさい。そうやっているうちに公的な支援が届き始めるから、それを活用しなさい。天災でも事故でもなんでも同じルールです」と。

「慈悲の祈り」は精神的なものですが、通じるものがあるなあ、と思いました。

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今回は、仏教家のお話でしたが、先週の日野原先生といい、先々週の葉祥明さんといい、いいお話が続きます。

宗教的かどうかはどーでもよくて、普段、あまり考えることのない領域に浸ってみるのはなかなか面白い体験です。

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