他人(ひと)のことは「ああいう人だ」と性格で評価し、自分のことは「こういう状況だったから」と状況のせいにするのが人間らしいです。
これ読まれると、「オレのことを書いたな」と思われるかもしれませんが、まあ、時効なのでいいでしょう。
ずーっと前のこと、上司(元)が、若手の生活ぶりに苦言を呈していました。
たとえば、「え? もう30近いのに、親から仕送りもらっているの?」とか、「親御さんと食事にいったら、社会人になった娘、息子がごちそうしなきゃ」とか、あるいは、「いつまでも親に頼っていてはダメだ、自立しないと」とか。
至極まっとうな、「おっしゃる通り、ぐーのねも出ません」という正論です。
20代でも大人だよ、親頼りはいかんよ。というのが口癖だった上司。
さて、その上司の御嬢さん(だったと思う)が結婚することになり、結婚と同時にマンションを買う話になったそうです。そしたら、「1000万の頭金を出した」というではあーりませんか。
「えーーーーーー、仕事していて独立しているに、1000まんえん!? 親に頼ってはいけないのではなかったのかーーー」と驚愕し、つい、「日頃おっしゃっていることと違いますが」と尋ねてみれば、返事は、こうでした。
「だって、先方の親御さんも出すって言っているから、しょーがないじゃないか。しないわけ行かない」
両家で、にせんまんえん!? (なぜか平仮名になってしまう)・・・・・・・・・・・。
よそ様のことなので、金額は置いといて、普段から「若手の自立心のなさ」を嘆く方が、自分の身内となると、こんなに変わってしまうんだ、ということに驚いたものでした。
以前、社会心理学者の本を読んだ時に、こんなことが書いてあり、ああ、そうだ、そうだ、そーだ、そーだ、と深く納得したことがあります。
「人間、他人(ひと)のことは、”あの人はああいう性格だから””ああいう人だから”と性格に起因するように考え、自分のことになると急に”こういう状況だったから”と状況のせいにはするけれど、性格や人となりのせいにはまずしない」
というわけです。
上司の頭金なんかわかりやすい例ですが、日常的にも、これ、よくありますよね。
「○○さんって、時間にルーズ。いつもたいてい3-4分遅れてくる。だらしないねー」と他者のことは評価するけれど、自分が遅刻したときは、「電車が遅れていたからしょうがないよ」「乗り間違えたから仕方ないよ」と「性格」ではなく、「状況」のせいとして解釈する。
「彼(彼女)は、指示待ちで、言われたことはするけれど、自分からは動かないよね」という人が、「自分でいろいろ提案してやってみたらいいのに」と他者から言われた時の返事が、「いやあ、今の私の役割ではそこまで求められていないし」と弱腰になったり。
でも、この時だって、性格じゃなくて、「役割」という状況に起因している、と自分では思っているわけですよね。
「他者の行動は、”そういう人だ”と思いがちで、自分の行動は、”そういう状況だった”と思いがち」
これ、少し頭に置いておくと、色んなことに対する見方が少し変わる気がします。
他者に厳しすぎないか。自分に甘すぎないか。
どちらの視点でも、自分のとらえ方を振り返るのに役立ちそうです。