介護の現場のバリア”アリー”の考え方は、若手育成にも通じると思う
朝「バリア”アリー”」という言葉をNEWSで見かけました。
バリアフリーではなく、「バリア”アリー”」。 オヤジギャグみたいですが、私仕様みたいですが、マジメな話です。
介護施設や高齢者のサポート施設など、軒並み「バリアフリー」にしていく流れだけれど、あえて「バリア”アリー”」の設備を充実させているところがあるというのです。
介護施設の真ん中に階段を作り、手すりではなくロープが添えてあり、そこを上っていく。マッサージチェアなど癒しグッズが置いてある場所に行くにも階段を上る必要がある。
そうやって、「バリア」を乗り越える訓練をしていくことで、身体の機能を回復させていこう、という趣旨だそうです。 もちろん、安全面には十二分に配慮して、また、それぞれの方の状態に合わせてその設備を使う、使わないの判断はあるでしょうが、バリアを乗り越えることを繰り返しているうちに元気が出てきた、健康を取り戻した、あるいは、自信がついた、という声もあるようです。
これ、なんとなくわかりますね。
町田の実家で約8年介護していた寝たきりの祖母は、それでも、ぎりぎりまで自分のお箸で食べるようにと私たちは介助だけしていました。最後の最後は、ミキサーで粉砕したものしか食べられなくなり(嚥下の障害もあるので)、それでも、ずいぶん長いことお箸やスプーンで自力の食事を私たちが見守る中ではありますが、済ませていました。
祖母の居室にはポータブルのトイレを設置し、用を足したい時は、母や私が抱っこしてトイレに移動させ、そこで用を足す。可能な限り、できうるかぎり、自分でできることを自分でしてもらうように。
一見、寝たきりの人に冷たいじゃないか、と思われなくもないのですが、それでも、周囲が支援しすぎることによって生活の機能を損なうのは、結果的に祖母の生命エネルギーをダメにしていくことでもあったと思うので、介護者である家族も頑張りました。(抱っこするのも体力が要りますし、こちらにも腰痛などのリスクはありましたし)
そういう手厚い介護が手伝ってか、祖母は99歳11か月までボケることなく生き、植物が枯れていくように、少しずつ、少しずつ、静かに静かになり、ある日、「もういいだろう」と言わんばかりに眠りにつきました。
さて、介護だけではなく、「バリア”アリー”」は、人材育成でも必要なことだなあ、とこのニュースを見て思いました。
新入社員を迎え入れる職場では、OJT担当者やその上司、あるいは多くの周囲の先輩たちがいて、「新人が失敗したらかわいそう」だとか「失敗したら、お客様に迷惑がかかる」だとかいろいろな理由を付けては、先回りしたり、「失敗しないような道」を歩かせたりするケースもあるようです。
特に、今のように一新入社員の失敗が企業にとってもそれなりのリスクになる時代ですと、新入社員かわいさに、ではなく、企業のリスク回避のために「失敗させたくない」と思ってしまうこともあります。
すると、OJTというか、若手育成のプロセスがどうしても「バリアフリー」になっていってしまうのです。
でもですね。やはり、多少の「バリア」はないと、人は育たない。
やっかいな上司。
わけわからんことを言う先輩。
小難しい顔した顧客。
やったことのない仕事。
「なんとかしろ」と突き放された後始末。
「あーやっちまった」とドキドキする展開。
こういう艱難辛苦を乗り越える経験もまた必要だと思うのですね。
ただ、この時、「丸投げ」「放置」はいけないのです。
「何かあった時、ちゃんとサポートするから」「誰かが見守っているから」ということが大事だと思います。
先日、内田樹さんの本を読んでいたら、
「困ったことがあったら戻っておいで」と言ってもらえる場所があると、それだけで人は強くなれる、とありました。
困ったからといってすぐ戻ったりはしないんだけれど、「戻れる場所がある」という自分の「港」みたいな場所があることで、かえって、大胆に挑戦できるようになる、と。
戻る場所がない人ほど、こじんまりするし、臆病になる。そんなことが書いてありました。
だから、職場で若手を育てる時に、「バリアアリー」にする時、「私たちがちゃんと見守っているから」「ここがあなたの居場所だから」という安心感もセットで用意することが必要なのかなーと思ったりしました。
上記の介護の現場だって、介護士や○○療法士の方たちが「ちゃんと見守っています」から「安心して、階段昇降に挑戦してみてくださいね」とサポートしているわけですよね。
バリア”アリー”の考え方。 もうちょっと考えてみたいと思います。
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内田樹さんの近著です。ご自分で土地買って、おうちというか道場を建てるまでのさまざまを書いていて、とても面白い!
後半に、「戻る場所がある人は強い」について出てきます。