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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

なぜ「ゴルファー」と「ランナー」は仲間を増やそうとするのだろう? ~江上剛『55歳からのフルマラソン』を読んだ~

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ひょんなことから、少しだけランニングを始めた。いや、ランというより、ジョグというか、ウォークに毛が生えたようなもの、というか。(ウォークに毛が生えた、ってどういうものか絵も描けないけれど)

夏になる前は外を、夏になったら、諸般の事情により、ジムで。 トレッドミルの上を歩いたり、毛の生えた歩き方をしたり、本気で走ったり。(ちなみに、私が本気で走れるのは、せいぜい5分で、しかも時速8.8kgくらいまでマシンのレベルを上げたら、もう、足が絡まる。漫画みたいに)

やる気あるようなないような状態でこれまで連続で走れたのが30分で、キロ数にしてせいぜい4キロ。ああ、この10倍以上走ってもフルマラソンにならない。よくやるなぁー、マラソン選手。市民ランナーも。

私は、別に走りたいわけじゃなくて、ウォーキングの調子が良い時、ふっと身体が浮いてしまうことがあるので、その勢いでちーと走る、という程度のものだし、皇居一周なんかする気はさらさらなく、当然、ハーフもフルもマラソンなんて一生挑戦はしないであろう。

5歳から27歳まで実に23年間も「小児ぜんそく」だったんである。社会人になっても、時々発作を起し、薬(錠剤)も吸入器も欠かせない人生であった。空気の薄い場所(山の上)で合宿、とか、布団を敷く行為(←埃が立つ)など、たびたび発作を引き起こした。だから、走るのも当然ダメで、ぜーぜーぜーひーひーひー。 小学校だの中学校だの、やたらと走らせる時代で(←昭和というのは、うさぎ跳びとランニングに彩られていた気がする。そして、水飲み禁止もセット)、だから、喘息持ちの私は、本当に恐怖に感じていたのだった。

それが27歳の時、自分でも信じられないことなのだが、突然、喘息が完治した。「小児ぜんそく」が27歳まで続いたから、もうこりゃ一生の付き合いだなあ、と覚悟していたら、格別治療を続けていたわけでもないのに、とにかくぴたっと治まったのだ。

すると、なんとなく、走ってみたくもなり、近所の公園を目指してウォークする途中、時々走ってみたりはしていた。10年ほど前からである。今は以前より多少は意識的に走る回数を増やしている、という程度。

喘息もち過去があるので、とにかく、「走る」というのは、少しだけ感動を呼ぶ行為だ。「ああ、喘息を克服したんだなあ、どんなに走っても、脚が痛くなって、息が上がるだけで、ぜーぜーぜーと喘鳴音が響くことはない、この素晴らしさ」。いちいち我が身に驚いてしまう。 克服してから20年以上経つけれど、それは今でも変わらない。

・・・だけれども、だけれども、それと「長距離を走ろう」というのは別の話である。

さて、江上剛さんの『55歳からのフルマラソン』(新潮新書)を読んだ。

かなり変なのである。

55歳、メタボ体型、運動なんてしたことない。そういう江上さんが、知り合いの市民ランナーにくどかれ、ある日突然、ジョギングを始める。2010年5月のこと。その初日からの記録なのだが、1日目にいきなり「10km」走ってしまう。しかも、筋肉痛になっていない。

さらに、その3日後には15kmに距離を伸ばしている。でも、筋肉痛になっていない。なっていない、というか、そういう記述がない。いや、記述があろうがなかろうが、10kmも走ったら、私は数日脚が使い物にならない。いや、4kmしかまだ走ったことないので、想像で言っているけども。

なんだかんだトレーニングをつんで、半年後には、フルマラソンに参加している。しかも、4時間31分27秒で、だ。(ご本人は不本意だったらしい)

2011年2月東京マラソンに当選し、4時間8分で走ってしまう。
2011年11月今度は筑波で、3時間53分。 2012年2月ふたたび東京マラソンで、3時間46分20秒。

変でしょう? これを変と言わずして、何を変というのか、というくらいに変なのだ。

2010年5月まで一切走っていない人が2011年11月にサブフォー達成。恐ろしい・・・。

この「変さ」からわかることは、人間、何歳になっても、やる気が出るとスゴイことを達成できるんだなあ、ということである。

詳しくは知らないが、多くのランナーが「サブフォー」ってなものを目指しているのだと思う。運動したことないメタボ55歳(←と何度も本に出てくる)が2年もかからずしての3時間台。

江上さんは、走りはじめて身体と向き合う、精神と向き合うようになたようだ。そういうこともたくさん書いてある。「そういう心境の変化、わかる気がするなあ」と4kmしか連続で走っていない私でも想像はつく。

こういう「仕事」とは別のチャレンジの場を持つというのは、精神を見つめ直すにはよいと思う。50代は、もう「老い」が視野に入って来ていて、それでも、「何か新しいことができる」と体感できることは、自分の自信にもつながるであろう。 それに、精神と肉体って連動しているよね、ってことも、エクササイズをすると実感できる。 第一、汗だくになる行為は、なんだか快感だ。 何かステキに毒消しをした気がするし。


それにしてもである。

江上さんが始めたきっかけはご近所の走り好き60代にしつこく誘われて、なのである。

私も、以前よりは走ることを意識するようになったら、「皇居一周しましょうよ。たったの5kmですから」などとしつこく誘ってくれる知り合いが現れた。そういえば、同僚のランナーも「走りましょう!」とやはり、”しつこい”(笑)。


なぜランナーは仲間を増やそうとするんだろう。 ゴルファーもよく誘う。「騙されたと思って、行ってみたら、楽しいから」とこれまで何万回も誘われた。 「騙されるから行きたくない」とかたくなに拒否している内に周囲で少しゴルフ熱が冷めてきたらしく、誘われなくなってきた。

あとは「ラン」である。「ジョグ」である。 皇居一周なんてしませんから。

いつまでもきっと「毛が生えたウォーク」から脱却しませんから。その毛、きっと伸びませんから。

そこんとこ、よろしく。

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