幸せ感。
オトモダチの菊入みゆきさんが書かれたコラムを読んで、ふと、「私の幸せは何だろう?」と朝から考えてみました。
仕事・社員のモチベーション改善し生み出す!「シアワセに働いていますか?」
http://www.busipla.net/expert_column/jtbm/26_1.html
菊入さんのこのコラムでは、2つの「シアワセ」がある、とのこと。一つは「快楽」。もう一つは「成長」。そして、どちらも、「大切な他者との関係」が影響している、と。
なるほど。
確かに、「ああ、お小遣いためて、欲しかった●●を買った!」(「買った!」というより、「買ってやった!」のほうが近い)とか「今日はおいしいものを食べるぞ!」とか「旅行先で美しい景色を観られて、のんびりできてうれしい!」といった”快楽系”も幸せの一つではあります。
また、「すんごく大変だったけど、うんと勉強して、この仕事を乗り切った、顧客にも喜んでいただけた。成長できたし、自分のキャリアの節目の一つになったなあ」と思える”成長系”も幸せですね。
でも、中年になっての幸せ感には、もう一つ、大事なことがあって。若いころにはあまり思わなかったことなのですが。
それは。
「ああ、今日も大過なく過ごせた」
というものです。
今日もちゃんと目が覚めて、自宅から出勤し、お仕事し、何事も起こらず無事帰宅でき、ご飯食べて、お風呂入って、ベッドで眠れる。
そのささやかな日常の時間の流れを毎日「ああ、幸せだなあ」と思うのです。
あれこれ不調も出てきていますが、気になるほどでもなく、中高年が誰でも多かれ少なかれ体験するレベルの不具合は、共存共栄。
なんでもないことがありがたい、なにも起こらないことが幸せ、と強く感じるのは、中高年の特徴なのかも知れません。若いころ「当たり前」と思っていたこと(体力とか生活とかいろいろな日常)が実は「当たり前」じゃないことに気付き、本当に「当たり前」ではなくなってくるから、そう思うのでしょうね。
ぼちぼちと枯淡の域に。
あ、でも、枯淡の先に目指すものは、「いじわるばあさん」のような”老獪なばあさん”です。あと20年くらいしたら、頭をお団子に結って、あれこれいじわるを仕掛けるような”ばあさん”になっていたいと思います。 残念ながら、”いじわるばあさん”がいじわるを仕掛ける相手の息子たちはいませんが、あのキャラは、目指す”ばあさん”像の一つです(笑)。