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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「勇気を与える」に少しだけ違和感w

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ペットに「餌をあげる」。
赤ちゃんに「おっぱいをあげる」。
植木に「水をあげる」。

…という表現は、実は正しくない、ということがたまに話題になります。

「あげる」は相手を上に見た場合の謙譲的表現だから、赤ちゃんは別としても、ペットや植木に対してへりくだるような表現は言葉の使い方として変ではないか、という解説がつきます。

だから、ペットに「餌をやる」。「餌を与える」。あるいは、植木に「水をやる」。「水を与える」といった表現のほうが正しいよ、というわけです。

このあたりは、「敬語の指針」(平成19年度)でも触れられていて、「今は、”あげる”と”やる”が両方存在する時代だねぇ。”あげる”は変じゃろ、と思う人は、旧来からの謙譲的意味として”あげる”と捉えるから違和感を覚えるし、”あげる”でいいじゃん、と思っている人は、すでに、それを”美化語”と捉えているんだろうねぇ。」といった解説が書かれています。
→ 参照:平成19年度 「敬語の指針」(文化審議会答申)

というわけで、「あげる」でも「やる」でもいいんじゃないの、というのが国が議論している「敬語」の捉え方のようですが、私が最近ちと気になるのは、「与える」という表現です。

たとえば、プロのアスリートが、

「この試合を観てくれた人に勇気と元気を与えられるよう、頑張ります」
「ボクの演技で、皆様に笑顔を与えられるよう、一生懸命技に挑みます」

といった表現を使うのを耳にすることがあります。それもジャンボ尾崎のような超ベテランならともかく、年若い方たちでも。


「与える」って、ほんのちょっと上から目線な気がして。(いや、私がそう感じるだけで、本来の語感にそんな意味はないのかもしれません)
「与える」を他の名詞と組み合わせてみると、なんか、妙な感じがするんです。

「朝ご飯を与える」・・・。 なんか、ちょっと・・・。

ペットに餌を「あげる」ではなく、「与える」と言うならわかるよ、という論調があるわけだから、私が「朝ご飯を与えるね」と言われると、恵まれた感じがするのかな、だから、違和感、なのかも。


で、アスリートに「勇気を与えます」「元気を与えたい」と言われると、やはり、なんとなく上から言われている感じがしてしまうんじゃないかな。

こんな時は、

「この試合を見てくれた人に勇気と元気を”お届けできるよう”、頑張ります」
「ボクの演技で、皆様に笑顔を”お届けできるよう”、一生懸命技に挑みます」

という表現はどうなんでしょう?

「お届けされる」ものをこちらは「受け取る」。

その方が平穏な気持ちでいられるような。

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