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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

息もできない程の腰痛なのに心因性だった話。

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あれはたしか2000年8月10日くらいのことだったと思う。とにかく水曜日。朝、起きて、顔を洗おうと洗面台で腰をかがめ、元の体制に戻ろうとした時、腰に小さな違和感を覚えた。

その日から、私の腰痛が始まった。最初は、痛いのではなく、なんか違和感。まっすぐしているといいのだけれど、曲げると違和感。そして、1週間2週間、ちっとも状態は良くならず、かといって、激痛でもなく、「腰に違和感」という、野球選手が「肩に違和感」言うのに似たような、そんな症状が続いた。

1ヵ月ほどまったく改善しないばかりか、少しずつではあったが、悪化してきた。気づくといつも腰をとんとんと叩いていた。その内、だんだんと右足の腿から膝くらいまで(外側)がじんじんと痺れるようになった。縦一列にまっすぐと線を引いたように痺れ。 今度は、膝から腿までをいつもとんとん、時、ばしっばしっと叩くように・・・。仕事ちゅうであっても電車乗っていても、何をしていても、私の関心事の90%くらいは「腰」と「脚」の痛みに変わった。

その頃、98歳くらいだった祖母の介護を手伝っていた。家族の中で最も身長の高い私が唯一祖母を一人で抱いて運ぶことができ、その力仕事が腰に来たのではないか、とも思っていた。

寝たきりの祖母に、「おばあちゃんを抱っこするからか腰痛くなっちゃったよぉ。頑張って歩こうよ」とたまに泣きを入れていた。(祖母は、支えればなんとか数歩は歩けるのであった)

・・・9月の半ば、あまりに治らないので、整形外科に言った。レントゲンを撮ったけれど、特に所見なし、でも、それだけ痛いなら、牽引しましょう、ということになり、電気の治療と牽引のために、何度か病院に通った。

引っ張ってももらっても、ちーっともよくならない。改善しない。より痛くなる、というようなことはなかったが、とにかく、痛い。腰と右足。こんなに痛いのに、レントゲンに写らないとは何事だ!?と怒りを感じた。

それでも仕事はたくさんある。実は、7月ごろたった一人の部下が異動し、私が彼女の担当する予定だった研修も全部引き受けることになった。なんせ、もともと2人体制だったので、何もかも担当しなければならなくなっていたのだ。

稼働率は80%。週4日の研修を毎週続けるということである。しかも、月~水、新宿で研修、18時半ごろの新幹線で岡山に移動し、木金と研修。岡山から夜中0時近くに帰宅し、日曜日には静岡に移動、なんていう強硬スケジュールだったのである。

疲労かなあ、身体を使い過ぎかなあ、と思いつつも、まだ30代で、頑張れないほどでもなかったので、なんとかスケジュールはこなした。

牽引は全く効かないのでやめてしまった。他の病院に行ったかといえば、上記のような状態だったので、病院に行かれるとしても土曜日。やっていない病院も多く、我慢我慢の日々であった。

11月1日ごろ。そろそろ腰痛持ちが3ヵ月にならんという時、研修の休み時間に講師控室に戻ってきたところ、痛みでそーっと椅子に腰かけてみたものの、今度は呼吸困難な状態に陥った。腰が痛くて、呼吸ができないのである。

「はぁーはぁーー」と荒い息をし、椅子から立ち上がり、腰をばんばんと、脚をばしばしと暴力的に叩く、けれど、もう、息が詰まるほどの痛さ。

あまりに痛くて、呼吸もできず、このまま死んでしまうのではないか、と絶望的な気持ちにすらなった。

「研修講師で登壇している最中に白旗を上げていいものか? プロが現場を離れていいのか?」と逡巡したけれど、なんだか、もう生命の危機が訪れているようにも思え、とうとう、ある人に連絡した。異動した部下の現在の上司である。(直属上司は不在だった)

「腰が痛くて呼吸困難な状態になっているのだが、明日から交代してもらえないだろうか」・・・。 敗北した気がした。

彼女は、「そんな状態だったって知らなかった、すぐ交代させるから」と、今では別部署の元部下を研修先に派遣してくれ、2日目から交代することとなった。

私は、講師の現場を離れ、すぐ大きな病院の整形外科に行った。レントゲン。何も所見なし。
婦人科が原因という例もあるようなのでそちらもかかった。腰痛の原因になりそうな所見はやはり、なし。

整形外科の医師は、「コルセットを巻いてみては?」と言い、さらに、数日後のMRIの予約を取ってくれた。会社を2日ほど休み、またMRIのために通院。

「MRIで何か見つかりますように」・・・。こういう時の腰痛患者の気持ちは複雑である。 何も見つかりませんように、ではなく、何か見つかりますように。「原因」があったほうが救われる。

・・・果たして、MRIの結果を見た医師の言葉とは、

「いやあ、田中さん、38歳ですよねぇ、これ、素晴らしい椎間板ですね。40歳近くてこれほど綺麗な椎間板は観たことないです」

おいっ! 「この看板、うまく描けてますね、素晴らしい」とでも言うような医師の言葉。でも、看板ではない、椎間板だ! こんなところで、「椎間板」を絶賛されても困惑するだけである。

なんで、私の椎間板は、そこまで素晴らしいのか。だったら、この腰痛の原因は何なんだ? 脚も痺れているんだぞ。呼吸すらできないほどの痛みに襲われるのだぞ。今だって、待合室の椅子に座れないからずっと棒立ちしていたんだぞ。

素晴らしい椎間板がどーしたというのだ。そんなもん素晴らしくなくてもいいわいっ。

・・・・・結局、MRIまでやっても原因は見つからなかった。いざと言う時のために痛み止めの薬をもらい、またコルセットを巻いてとぼとぼと帰宅した。

万事窮す、そう思った・・・。しかし、しかし、この時、実は気づいていた。

診察が終わったあたりから潮が引くように痛みが去っていっていることに。痛み止めは飲んでいない。
翌朝、さらに腰の痛みは引いた。・・・そして、2-3日で完全に痛みが消え去った。

「微妙にまだ痛いけど」なんてこともなく、完全に完璧に痛みがなくなった。発症からほぼ90日。

腰痛が消えた。

・・・・・なんだったんだろう? 悪魔でも憑りついていたのだろうか?

しばらくして整形外科に行き、その話をしたところ、「あれほどの腰痛だった人が完全に治るってふつうないんですよ。整形外科的なことではないのかも」といったことを言われた。

なぜ治ったのか。 ずーっと考えてみた。

たぶん、心因性だったのだ。(医師は、「心因性」と特定することはできない、と言っていた)

異動した部下の分も含まれた仕事のスケジュール表は真っ黒であった。いつも次はどこへ移動するのかを考えていた。穴を開けてはいけないとすごい緊張状態にもあった。そのスケジュール表を毎朝毎夕眺めている内にその心理が腰に来たのではないだろうか。

上司に「できない」「無理だ」と言えなかった。私がこの状況をなんとか乗り越えなければと思っていた。でも、呼吸困難になった時、隣の部署のマネージャに相談し、すぐ「交代させるよ」と言ってもらえた。

その白旗降参をしたことで、自分にかかっていたプレッシャーから解放されたのではないだろうか。
だから、仕事を休むと決めた時点で、腰痛が消え始めていたのではないか。

私は、この時ほど、「身体と心」はつながっているんだと思ったことはなかった。そして、自分というものがこれほど信用できないものだということも知らなかった。 身体の症状が心から来る人間だ、なんて思っていなかった。自分の身体なんてあてにならないもんだなあ、としみじみと感じた。

「胃腸にくる」「眠れない」などいろいろな出方があるそうだけれど、どうも私は整形外科的な部位に、ストレスが出る人間らしい。

あれから12年。一度も腰は悪くなっていない。(ただ、絶対に「極限的な無理」だけはしないようになった。)

腰痛の70%くらいは心因性、という記事を読んだことがある。 同じような心因性でしんどい思いをなさった作家の夏樹静子さんの『椅子が怖い』を熟読して、「そうそう、そうなのよー」とうなった。人によって原因は様々であろう。たまたま私の場合は、夏樹さんと同じだったのだと思う。

腰痛はもう遠い世界のことである。しかし、あの時の痛みは不気味なほどに記憶に刻まれている。だから、腰痛と聴くと反応してしまう。

『腰痛探検家』という本は、「腰痛に見舞われた」著者が、あらゆる民間療法、西洋医学、中医学などを試して放浪する様を詳細に書いた本である。 著者は、自分の腰痛にどんどん「はまって」いく。

自分で治療院を替えているのに、前の治療院での治療法を否定されると腹を立てたりする。著者は、「元カレをけなされて腹を立てるダメ女子のようだ」といった表現を使う。

あらゆる民間療法を渡り歩き、どんどん「腰痛」にとらわれていく。最後の最後になっても、彼の腰痛は完治はしないのだが、「気にならない日も増える」という状態になる。なぜかといえば、「腰痛」にとらわれている自分をいったん捨てたからなのだった。

「腰痛」を自分の関心事から切り離した。理性的にそうしたのではなく、逆切れして「腰痛」を気にしないことにした。そこから再生の日々が始まる。この著者は、自分の腰痛については、最終的に「外科的なこと」と「精神的なもの」のミックスバージョンと位置付けている。

・・・

「腰痛」持ちであっても、そうでなくても、私のように克服した人でも引き込まれる2冊。おススメです。

※『腰痛探検隊』のほうは、書いている方も「笑ってもらいましょう」という気分で筆を進めているものと思われ、なんというか、悪いけれど、引き込まれつつ、わかるわかるとうなずきつつ、笑ってしまいました。

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