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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

成人は「自己主導型学習者」である、というお話。

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1990年、入社5年目の夏、米国に初出張をしました。一人で。

目的は、「Instructor Skills」というタイトルの5日間の研修を受けるため。折角行くなら他にも、と「Communication Skills」(3日間)も受け、アメリカ人とのミーティングもいくつかこなして帰国しました。

なんでこんなことになったかと言うと、2年目の時、手を挙げて「新入社員のトレーニング」を企画して、実施してから、ずっと後輩指導を手掛けていたら、それを見ていた部長が「アメリカでこういう研修があるけど、行ってみない?」と電子メール1枚をぴらぴらさせながら、私におっしゃったからなのです。なんせ時はバブル、お金はいっぱいある。 ビジネスクラスでどどーんと行ってみたのでありました。

Boston郊外のDEC(Digital Equipment Corporation)トレーニングセンター。ほぼ全員がアメリカ人(一部、カナダ人)・・・。数百人というDEC社員の中にぽつんと東洋人(私)。

買い物英語程度の能力で行ってみたら、テキストは専門用語だわ、研修は双方向だわ、すぐ意見求められるわ、ありゃ、大変。
(ホテルで夜中まで、数時間猛勉強=主にテキストの和訳して翌日に臨むという必死な日々)

で、その「Instructor Skills」の初日、最初に出てきた項目が、「Adult Learning」という章です。アダルト・ラーニング。カタカナで書くとなんですが、「成人学習」のことです。

もうこの段階で、目からうろこ。うろこ、ぱらぱらと落ちまくりまして、感動すら覚えました。「そうか、子供の学習と大人の学習というのは違うのか」・・・。私は学生時代、教育学を専攻していたのですが、それでも、初めて聞く概念でした。

そのテキストのあるページのタイトルが、

”Andragogy VS. Pedagogy” (アンドラゴジー と ペダゴジー)

ペダゴジーとは、子供に対する、伝統的な教育をさし、アンドラゴジーとは、それに対して、大人に対する教育のことを指す言葉です。

以下のような違いがあります。

●Pedagogy(子どもの教育):教師主導型学習  VS.  Andragogy(大人の教育):自己主導型学習


【Pedagogy】
・学習者は依存的な存在とみなされ、教師側が「どう教えるか」を決める
・大人の経験が教材となる
・年齢(生物的成熟度)で一律に学習項目が決まる
・”いつか”使う情報を学ぶ教科中心型学習

【Andragogy】
・学習者は自己主導型で学習できると考えられる
・学習者自らの経験を学習のリソースとする
・現実に直面している課題など必要性に応じて学習項目を選ぶ
・今すぐ必要としている情報を学ぶ課題中心型学習

・・・と言う風に分類できます。

これは、教える側がとるべきスタンスというだけではなく、学習者自身がどちらの立場に立つか、ということも大事で、自分が「自己主導型学習者だ」と自覚したら、教師(教える側)をうまくリソースとして活用していくことができる、というものです。

「大人の学習者」は「子どもの学習者」とこんな風に違うのだーということに感動しました。アメリカに来てよかったーと思いました。(その後、こで学んだことは全部日本語化し、現在でも研修プログラムの一つで提供しているのです。20年以上のロングセラー。笑)


さて、この理論は、教育学者 マルカム・S・ノールズ氏によるものです。

日本語に翻訳されている文献が少ないのですが、つい最近、この本を読みました。

●マルカム・S・ノールズ 『自己主導型学習ガイド』 明石書店

この中には、こんな文章があって、企業の後輩指導とかOJTなどでも活用できるものだと思ったので、紹介します。


「教育の目的は知識の伝達である」という定義が現実味をもたなくなってきた <略>

人が20代で修得したことの半分が、30歳になるまでに時代遅れとなってしまいます。

それゆえに、今や教育の主要な目的は、知識を伝達することではなく、探究活動の技能を伸ばすことでなければなりません。

<略> 新しい知識を容易かつ匠に修得するための能力を獲得しておくことが、より重要なことと言えます。<略> 私たちは、自分が行うすべての行為の中から学んでいかなければなりません。どんな経験のも「学習経験」として活用しなければならないのです。  <略>

私たちの祖先が構築し、継承してきた文明においては、将来のために知っておくべきことの大半は青年期の間に学べたかもしれませんが、もはや現実には当てはまりません。  <略> なぜ自己主導型学習が必要かというと、それは生きぬくためです。


人は学校を修了したのちも、学び続けなければならない、ということをこんな風に表現してあり、再び感動しました。「教えてもらう」のではなく、「自ら学ぶ」、そのために、世の中のあらゆることを学びのリソースとする。大人は「成長したい」という強い思いに、内発的に動機づけられて学ぶのだ、というわけです。


たまに「えー?仕事の勉強なんて家でしないよ。あ、会社でもあまりしないけど」「会社のために勉強するなんて」という2-30代のエンジニアに出会うことがありますが、そういうことではないよ、とノールズさんは言っているのですね。 「生きぬくため」とはなんと力強い言葉でしょう。


ところで、今、教育学を学ぶ人にとって、マルカム・ノールズさんは、歴史上の人物かもしれませんが、私が渡米した時は、ご存命でした。最近の学者なのですね。

もう一つところで。

この研修を日本語化した時、目次を見た大勢の同僚が「成人学習? えー? 何を教えるの?(ニヤニヤっ)」「原語では、”Adult Learning”?(ニヤニヤっ)」という反応を示したこと、今でも鮮明に覚えています。それだけ、新しい概念だったのでしょう(笑


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