家族が語り合うのは難しいのかも知れない。
久々に「コミュニケーションスキル」の研修を担当しました。2日間だったので、1日目の終わりに「アクティブ・リスニング(傾聴)」の宿題をお出ししました。
「2日目の朝までに、誰かに”アクティブリスニング”を試してくださいね」というもの。
何人かが試し、今朝、報告をしてくださいました。
ご家族相手に試した方が多く、パートナーを相手に、または、お子さんを相手にという例がたくさん紹介されました。
それを聞いていて、ああ、やはり、と思ったのは、「家族」というのは、案外ちゃんと話をしていないんだな、ということです。
いや、仲が悪いとかいいとかそういう話ではなくて、夫婦になったり、親子であったりすると、そんなに深い話を実はしなくなる。 あるいは、話しているけれど、ちゃんと聴けていない。
(それは、平和な家庭だから、という面もあります。平和だからこそ、日常で込み入った話をする必要がない。)
でも、宿題として「リスニング」を意識していただくと、こんなことが起こるのです。(今日紹介された例だけではなく、今までにお聞きした例をご紹介)
【ケース1】 夫⇒妻の話を聴く
普段はちゃんと聴いていないのに、「ながら聴き」もせず、落ち着いてじっくり聴くという姿勢を示すと、妻は、「むむ? 変だ。アヤシイ。何があったの? 何があるの?」と思う。
仕方ないので、「宿題なんだ」とカミングアウトすると、「あ、そうなんだ」と納得される。
でも、こうやって話を聴くと、「へぇ、そんなこと考えているんだ」「それが悩みだったのか」「そのことで苦労していたんだね」ということが夫もわかる。妻は妻で「聞いてくれた!」とすっきりする。
【ケース2】 妻⇒夫の話を聴く
いつもは自分がしゃべっていることが多いのだけれど、夫の話を聴こうと思う。夫はいつになく職場の話をする。すると、夫の仕事をわかっていたつもりでも、案外知らないことが多いことに気付く。「へぇ、この人、こーゆう仕事していたんだ」と新しいことを知る。
夫は、「今日はゆっくり話せてよかった。聴いてもらえてうれしい」と素直に喜びを口にしてくれ、なんとなく二人とも気分がよかった。
【ケース3】 父⇒息子の話を聴く
普段はあまり接点のない大学生の息子と、珍しく会話した。「宿題」でもあるし。「息子の将来の希望とか考えていること」を初めてじっくり聴いたかも知れない。
息子は息子で、最初はぎこちなかったけれど、「おやじに話ができてよかったよ」と言っていた。
【ケース4】 母⇒娘の話を聴く
小学生の子供の話を普段は家事をしながら聴く。でも、その日は夕食の支度の手をとめて、リビングで座ってゆっくり話を聴いたら、いつも登場しないお友達の名前がたくさん出てきた。 娘のお友達を把握しているつもりだったけれど、ゆっくりじっくり聴かなければ登場しない交友関係というのもあるんだなあ、と思った。
娘は、話をしたら満足したのか、いったん自室に戻り、静かに宿題をしていた。
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一般に「女性のほうが共感を求めて、話を聴いてもらいたいものだ」と言っりするけれど、こういうさまざまな例を見ると、「男女問わず、年齢問わず」、話を聴いてもらえるのは、とても嬉しいことなんだな、ということがわかります。
一方、案外、人は他者の話をきちんと聴いていないことも垣間見えます。特に、家族がそうなりやすいようです。で、普段聴いていないから、ちゃんと聴こうとすると、「あれ?アヤシイ」と思われるし、きちんと聴けば、「家族であっても知らないことがいっぱい!」と新しく発見したりするんですね。
身内というのは厄介なもので、照れくさいから、なかなか聴くことができないものです。
もちろん、中にはとてもしっかり語り合う夫婦、親子もいるのですが、それは案外稀有な例ではないかしら。
本当は一番身近で一番大切な存在のはずなのに、実は、腹を割って話すことが少ないのが、家族なのかも知れません。
家族ってなぜ、そんなに恥ずかしいのでしょうね。不思議。