「俺は誰にも育ててもらっていない」というのはホントだろうか?
企業のOJT制度やOJT担当者を支援し始めて、約10年。OJTを「制度」として導入した企業では3年くらいその制度を頑張って続けているうちに、だんだんと「人を組織的に育てることは大事だ」という認知が広まり、制度も当然のものとしてとらえらえるようになり、安定稼働の状態に入るように思います。一方で、その後の懸念は、「制度」が形骸化しないか?であって、人事部や人材開発部の方たちは、「形骸化」防止の手をあれこれと打つこととなります。
話はさかのぼって、世の中で「OJT」の制度化がずんずん進み始めた21世紀の初頭のこと。
OJT担当者やその担当者の上司向けに「どうやって若手を育成していくか」を考えたり、計画を練ったりする研修を提供していると、まず100%言われたのが、以下の言葉です。
「今の若手はこんなに丁寧に育てないとダメなのか。俺たちの頃はだれも育ててなんかくれなかった」
「俺たちは、技術は盗むものだと思っていた。なんで手取り足取り教えなければならないんだ」
(一人称を「俺」にしているのは、参加者の大半が男性だったからですが、他意はありません。)
これらは40代50代の方の言葉で、今から10年近く前の40-50代といえば、失われた10年(20年?)より前に若手社員時代を過ごした方でもり、今とは仕事を取り巻く状況って全然違っていたはずなのですが、それでも、「なんとなく面白くない」という気持ちを抱えていたようです。(「面白くない」という気持ち自体はわからなくもありません。)
そういう「感覚」の違いは、まあ脇に置いときます。いつの時代でも年長者のことは理解できず、年下の人のこともよくはわからないものだから。(私は、「団塊の世代」の仕事観、よくわかりませんし、もっと上の上の世代になると、さらに全然わかりません。たとえば、「男なら家庭を守るためにも仕事にまい進しろ」と言われたりすると、うへ!?と思ってしまいます。理解できないのは、自分より若い年代のことだけではないと思うんですね。)
ここで考えたいのは、繰り返しますが、「仕事観」という感覚の違いではなく、「俺たちはだれにも育ててもらっていない」というのは本当か?ということです。
たしかに、今多くの企業が取り入れている、1対1で先輩がついて1年~3年もOJT期間がある。指導計画をきちんと立て、それにそって体験させ、月に1回フィードバックの面談があって、などと言う手厚い指導は受けなかったかも知れない。20年前30年前・・・は。
でも、制度がない=誰も育てていない、とはならないのではないだろうか?といつも思っていました。
誰かが仕事のチャンスをくれたのではないか。
誰かがほめたり叱ってくれたりしたのではないか。
あるいは、もっともっと消極的な指導方法として、
誰かが自分のミスを笑って許してくれたこともあるのではないか。
誰かが自分がやっていることをしばらく見守っていてくれたこともあるのではないか。
「育てる」というと「これはこーしてね。あれはあーやるんだよ。」と、”教える”ことにフォーカスしやすいものですが、”機会を作る””ちょっと任せておく””何かあったらちょっとだけ助ける””見逃す”なんてことも「育てる」要素になっているはずで。
そして、今と2-30年前と決定的に違うのは、「コンプライアンス」とか「個人情報」とか「CSR」とか全然うるさく言われなかったので、新人(若手)のミスは案外おおらかに許され、お目こぼしを受けた事象が大量にあったであろう、ということ。(自分が気づいていないだけで、周囲がカバーしてくれていたことだって多々あったはずで、そこを見咎められ徹底的に叱責されなかったから、次の仕事にもくじけることなく挑戦できてきた、のかも知れないし。)
そういう、有形無形の周囲の支援(手を貸すかどうかではなく、見なかったことにすることも広い意味では支援です)を忘れて、「今時の若者には、OJTというものがあって優しすぎる」というのはなんとなく違和感があったのですね。
・・・でも、冒頭に書きましたように、OJTの制度化もかなり進み、人はきちんと育てるべきだ、という認識が年長者の層にまで浸透した結果、今ではほとんど聞かれなくなりました。「俺は誰にも育ててもらっていない」という言葉。
私は、新人研修での成績がどん尻(しかも、ブービー賞の同期と、体100個分くらい離れてのどん尻)だったため「配属先がない」と宣言されたというほどの人間なので、「誰にも育ててもらっていない」とは決して思えず、反面教師の上司や先輩(←失礼!)も含めて、大勢の支援でここまで来られたのだなあ、と今でも思うのです。
先日、このブログでも紹介した、スタバジャパンの元CEO・岩田松雄さんも「従業員の満足度は、売上利益が向上することでも高まるのだけれど、やはり、一番影響が大きいのは、この会社にいて、自分は”人間的成長ができている”と実感することではないか。”人間的成長”ができたとき、さらに満足できるわけで、成長させることが企業の意味なのではないか」といったことをおっしゃっていました。(記憶に頼って書いているので、言葉を正確には再現していないと思いますが)
「OJT」という制度があるかどうかは企業規模によりますけれど、先人たちがすべきことは、間違いなく、「次世代を育てる」ことであって、特に、40代以上になれば、「世代継承性」が発達課題なんだ、ってなことは、いろいろな方が(記憶が正しければ、金井寿宏さんなど)おっしゃっています。
中高年は、過去に明確に育ててもらった記憶があまりなかったとしても、そんなことはどこかへうっちゃって、次世代を担う若者たちの成長をどう支援するか、ということは、管理職かどうかなどの役割・立場に関係なく、誰もがちょっとは考えていかなければならないことなんじゃないかと思うのです。