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人材育成の現場で見聞きしたあれやこれやを徒然なるままに。

「知っている」ことから始まるのだと実感した「内部障害マーク」

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数年前のこと、母が手術を受け、退院後の初通院の日(手術日から7日目くらいです、たしか)。術後の初診察日があり、通院することに。電車には乗れるけれど、傷痕があるわけで、満員手前の混み具合の車両の中で、私は、母の身体をガードし、緊張しながら病院まで付き添いました。

見た目元気そうな、それほど年老いていない女性が席を譲ってほしい、ということもなんとなくできず、だから精一杯、ケビンコスナーばりのガード役に徹しました。この日は私が一緒に病院まで行くことができたものの、これ以降もしばらくは自分で移動することがあり、大丈夫かなと思ったものです。誰かにぶつかられて痛い目に合わないか、などと、色々心配して。

満員電車でなくても、街に一歩出れば、東京のように大勢が行きかう場所で、どすんとぶつかる、脇目降らずに目的地に突進する、というのは、当たり前の光景で、「他者を慮っている余裕がないから、互いに必死でよける」というようなことは無意識に行っているものです。

でも、ひとたび、病人、けが人を同伴していたり、あるいは、自らがちょっとした不調を抱えたりすると、どすんとぶつかるのも突進されるのも恐怖になります。

20年以上前のことですが、自宅で頭に怪我をして、頭頂部を2針縫ったことがありました。この時も満員電車の頭上から背の高い人から食らう肘鉄がやはり恐怖でした(上げていた手を下したら、ちょうど私の頭頂部にあたる、というケース)。だから、上司と交渉し、怪我がある程度治るまで、出勤時間を1時間ずらすことを認めてもらっていました。

妊婦であることを示す「マタニティーマーク」はだいぶ認知度が上がってきたように思います。(とはいえ、まだまだ知らない人も多く、だから、それをぶら下げていても、妊娠初期のつらい時期に満員電車でドキドキしながら通勤している、という知り合いもいました。見た目でわかるようになればまだよいのでしょうが、初期は本当に大変みたいですね。)

マタニティーマークでこうなので、内部に見えない障がいを抱えた方はもっと大変だと思います。内部でなくても、とにかく、他者からわかりづらい障がい。

やはり、これをなんとかしなければならないと考えている人も多いらしく、「内部障害マーク」というのができたという記事を新聞で読みました。なるほど、これを普及することで、何かが変わるかも知れないなと思いました。

内部障害マークの推進をしている「ハート・プラスの会」のホームページはコチラ

ここ数週間、なんとなく意識していたら、このマークを昨日、初めて街中で見かけました。新宿駅前の大きな横断歩道で信号待ちをしていたら、目の前の20代とおぼしき男性がショルダーバッグにぶら下げていたのです。彼は見た目は普通に歩いて横断歩道を渡って行きました。

私は、新聞記事と内部障害マークのサイトを読んでいたから、実際に「内部障害マーク」をキャッチできた。知っていたから。知らなければ、何だろう? バッグのチャーム(飾り)かお守りかな、などと思ったかも知れません。

だから、こういうものというのは、「知っている」「知ってもらうこと」が大事なのですね。

誰もが手術経験者になる可能性はあります。見えない障がい、見えない辛さを抱えることはあります。生涯付き合うレベルのものもあれば、一時的に快復するまでの間、そういう辛い思いをすることもあります。

お年寄りやけが人に席を譲る、配慮する、というのは、ある程度、「思いやり」の心でカバーできると思いますが(シルバーシートがあるのは、日本だけだ、という話もありますし)、でも、内部の障がいとなったら、それは「思いやり」ではカバーできないわけですよね。気づけないから。

こういうマークの認知度が上がればよいなあ、と思います。

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