「叱る」ためには、ほんの少しの”勇気”と、そして、”瞬発力”が必要なのかも知れない。
部下や後輩を「叱る」。
苦手な方、多いようです。
「面倒くさくて」とか「嫌われたくなくて」という理由もあれば、相手のストレス耐性に対する懸念から、つい腰が引けてしまう、ということもあるらしい。
翻って、わが身。
ああ、よく叱られた。叱られました。25-6年前。いや、20年前、あ、そういえば、10年前だって。もう40歳に手が届くという時だって、結構叱られました。上司に、先輩に。・・・スゴイことですね。そういう「面倒なこと」をしてくれた上司、そして、先輩。
最近、叱れない、でも、本当は叱ったほうがいいんだろうな、と悶々としている方によく出会います。
あるとき、こんな話を聴きました。
「新入社員たちの会話を聞いていたら、『新人研修が眠くて、眠くて仕方ない。こいつだけ寝ないんですよ、信じられない!』・・・真面目に起きて(?)受講している同期を揶揄するようなことを、それも先輩がいる場所で堂々と笑いながら言うんですよ。こういうの、どう思います?」
「それ、その場でちゃんと注意しましたか?」
「いや、若者ってのはそういうものなのかなあ、と思ってしまって、何も言いませんでした」
・・・うーん。
「後輩の言葉づかいがおかしいんです。敬語の遣い方が間違っているというより、時に失礼だったり」
「その場で指摘してますか?」
「あまりのことに驚いて、つい、”へへへ~”と苦笑いしてスルーしちゃいました」
・・・うーん。
わかります、どちらの気持ちもわかることはわかります。
「そんな風に思うものなのかなあ」とか「いちいち目くじら立てても」などと思ってしまうキモチ。
あるいは、「あまりの出来事に驚きすぎて、その場では、注意するなど思いもしなかった」というようなケースもあるに違いありません。
でも、こういう風にあとで部外者である私に話すということは、やはり、心のどこかで引っ掛かっているわけですね。
たぶん、夜寝る前になって、「ああ、なぜ、日中、その場で注意しなかったんだろう? へらへら笑ってスルーする場合じゃなかったのに」などと悶々と思い返す先輩もいるのではないかしらん?
よく、「叱る勇気」が必要だ、と言いますが、「勇気」以外に必要なもの。それは、「瞬発力」。
「ん? おかしい」
「これ、注意する箇所だな」
「どういう言い方をすれば、ずばっと相手に伝わるのだろう?」
「よし、こういう言い方でたしなめよう」
というようなことを5秒くらいで判断できないといけない。一日中、何かがひっかかって、夜寝る前に「ああ、叱ればよかった」では後の祭り。
ほんの少しの”勇気”と、そして、”瞬発力”。 ・・・いや、逆かも。・・・ ”瞬発力”と”勇気”、なのかも知れません。
それにしても、昔(いや、最近でも)、叱ってくれた(る)上司、先輩って、貴重な存在ですね。勇気も瞬発力も持っているからこそ、叱ってくれた(る)わけですから。
有難い存在です。