「心の師匠」ゴレンジャー化作戦!
先日、2年間続けた雑誌連載の最終回を迎え、最初から最後までずっと担当してくださっていた編集者Sさんとお目にかかりました。
その雑誌の名前は、『心とからだのオアシス』。中央労働災害防止協会というところが年4回発行(つまり、季刊誌)しているもので、主に、人事部、健康管理センター、組合などに置かれているものだそうです。(とういう部門で購読するタイプのもの、というほうが正しい、かな)
で、季刊誌なので、2年間で計8本のコラムを毎号2400文字程度で書いていたのですが、Sさんがおっしゃるには、「読者からいろいろと感想が寄せられていました」ということ。(こういうの、連載終了後に聞くことが多く、これはこれでちと残念ではあります。)
「特に、『心の師匠』の回は、とても多くの反響があったのですよ」というお話。
そうなんだあ、あのコラムが最も反響があったのかぁ・・・と、目からうろこというか、意外な感じがしました。
この連載は、管理職向けに「部下との関係づくり」とか「マネージャ自身のメンタルケア」「モチベーション維持」「部下の指導方法」などを軽い感じで書いていたものでしたが、その中で「心の師匠」が最も響いたというのは、驚きです。
というわけ、で。
以前このブログでも書いたのですが、ずいぶん前なので、また改めて「心の師匠」について説明しておきます。
「心の師匠」というのは、学校の先生とか直属の上司とかあるいは習い事の講師だとか、そういう「直接教えられ、学ぶ関係」にある相手ではなく、仕事で知り合ったり、なんとなく知り合ったり、なんとなく見かけたり、なんとなく交流があったりする社内外の、利害関係は深くない間柄で、なおかつ、その人から多くの学びや気付きを得たり、時に諭してくれたりする、そういう相手のことを、私がそう呼んでいるものです。
上記雑誌連載でも、「現代のマネージャはプレイヤーでもあって、何かと大変だけれど、だからといってそうそういろんなことを言ってくれる人も少なく、だから、相談に乗ってもらったり、何かの時に叱咤激励してくれたりするような存在として、社外でもいいから”心の師匠”を持っているといいと思いますよ。」といったことを書いたのでした。
で、「心の師匠」ですから、相手が自分を弟子だと認定するかどうかには関係なく、こちらが一方的に「あなたは”心の師匠”です」と思っていればよし、です。(私は、密かに、ではなく、堂々とご本人に伝えていますけれど。)
それも一人に絞る必要はなく、あちこちに「心の師匠」を持っているというのがお奨めです。
たとえば、「人生の悩みごと」に関しては、「心の師匠Aさん」。「仕事に関して」は、「心の師匠Bさん」。「人間関係」だったら、「心の師匠C」さんという具合に、適材適所(?)にたくさんの「心の師匠」を持っているとよいと思います。
「ゴレンジャー」みたいなもんですね。(って、また、喩えが古いっ!)
心の師匠アカ、心の師匠アオ、心の師匠ミド、心の師匠キ、心の師匠モモ!
(調べてみたら、「アカレンジャー」なのですね。「レッド」ではなく、日本語! 1975年-1977年。昭和まっただ中ですな。)
たくさんの「心の師匠」がいてくれたら、何かあったときに心強い。
一人の方の何もかもを信奉するのもよいと思いますが、それぞれの得意な面をうまく盗ませてもらう、とか、得意な分野で助けていただく、なんてのが「ゆるく」て、私は好きです。
・・・なんてことを日頃からよく思っているのですが、つい先日、ある企業で若手社員向けの研修を担当したとき、20代後半と思しきSEの方がこんなことをおっしゃっていたので、嬉しくなりました。
「僕は周囲の先輩たちに恵まれていて、マネジメントスキルだったらA課長、JavaのことならB先輩、お客様との関係づくりに関してなら、C先輩、●●技術については、協力会社のDさん・・とたくさんのリスペクトできる人に囲まれています。失礼な言い方をすれば、上司や先輩も人間なので、何もかも優れているということはないように思うけれど、いいとこ取りをすればよいと思っているんです。」
このSEさんにも「”心の師匠”ゴレンジャー」がいるわけです。(だから、古いって!)
で、常にこんな風に考えながら他者と接していたら、周囲には学べる相手がゴマンといるわけですね。ステキです。
※ 喩えが「昭和」なのは芸風なので、お見逃しください。というか、最近の「なんとかジャー」についてとんと知識がありません。ゴレンジャーが最もなじみのあるものです。ペコリ。