「蓋」あり物件に覚える違和感の原点はアレ?
もう今では珍しくなくなりましたが、会議中にノートPCを持参して、そこに議事メモを書き込むというのは、10年前くらい?だと、違和感を覚える人も大勢いたような気がします。
IT業界ならよいのですが、クライアントがIT関係の方ではない場合、「会議中にPCを広げて何しているんだろう?」といぶかしく思う方もおいでだったような。
だから私は、ITエンジニアたちには、「会議の議事メモをPCで打ち込んでいくのはいいけれど、一度だけ相手側に画面を見せて、”こういう風にメモを取っていますよ”と示しておくと安心できると思う」とよく伝えていました。
そう、ノートPCは、あの蓋の向こうで何が行われているか、反対側にいる人には不審に思える物件なのですな。
同じようなことが、携帯電話にも言えて、折り畳み式携帯電話を目の前で出されると、やはり、「蓋」部分がなんとなく「こちらを拒絶している」気分にさせることがあります。
ノートPCと言い、携帯電話と言い、問題は「蓋」なんじゃないか、というのが私の見方です。
そういえば、研修中、受講者がやおらPCを開いて何かし始めると、講師としては、「何をなさっているのか?」と心配になることがあります。たいていは、そこにノートを取っているだけなのですが、蓋の反対側(つまりモニター)は見えないので、不安になる。
ところが、ある時、机にiPadを置いている方がいらして、全く不安には感じませんでした。それは、私に向けられた”蓋”がないからで、平らだからで・・・。
実際に近づいてみたら、なんと、Wikipediaで、私が話したばかりのことを調べていらしたので、ノートPCでメモを取っているよりも、うーんとドキドキするような行為ではあったのですが、それでも、平らな分だけ違和感がない。
考えてみたら、スマートフォンも同じです。携帯を出されるととてもなんか不思議な距離感があるのに、スマートフォンの場合はあまりそれを感じない。これも、蓋によって「こちら」と「あちら」が分けられないから、ではないかと推測します。
(これは、あくまでも私の感じ方です)
なぜ、”蓋”にそこまで反応するのだろう?とつらつら考えてみたら、思い当たったのが、中学生時代のこと。
ドカベン弁当箱(またまた昭和でゴメンナサイ)の蓋を立ててお弁当を食べる同級生が何人かいませんでしたか?
なぜ、弁当箱の蓋を立てるのか?
目の前のクラスメイトのつばが飛んでくるからいやなのか?
弁当のおかずを他人に見られたくないからなのか?
理由はわかりませんでしたが、「蓋を立てて、弁当を見えなくする行為」は、多くのクラスメイトに不評でした。
「弁当の蓋、立てるなよー」と指摘されるのです。
うん、どうやら、ここに原点がありそうな気がします。
日本人は、目の前の相手に”蓋”を立てられることに違和感を覚える。
そういう仮説、どうなんでしょう?
ダメですか?w