彼女が見て、聞いて、感じていることを感じられないことに、ボクは嫉妬する
知人に、若い編集者がいる。
彼女は、まだ若いゆえに、経験値は少ないかもしれない。知識も、情報量も、倍の時間を生きているボクのほうが勝っているだろう。でも、今日、ボクはたしかに「彼女にはかなわない」と思った。
編集者ゆえに、語彙力が優れているのはわかる。そういう、スキル的なものは、ボクも努力をすれば身に着けられるかもしれない。
でも、彼女が感じているその感性は、明らかにボクには存在しえないものであり、それが、ボクのこころをグリグリとえぐる。彼女が見て、聞いて、感じていることを、ボクは感じられないことに、何か、悔しい感じすらする。ボクは彼女に嫉妬する。
彼女に限ったことではないが、若い世代が綴り、発信する文章を見て、「まだ若いな」「まだ青いな」みたいに感じることは、正直ある(こういう上から目線の書き方は、おっさんが若い世代をバカにしているようであまり好きではないのだけれども、ここではあえて)。経験値が少ないのだから、粗削りなところはあってしかるべきだし、若い世代からそういうところを削ぎ取ってしまったら、逆に面白くない。
一方、ボクの若いころと比較すると、今、社会に感じている矛盾とか、自分自身に向けた思考とか、そんなふくざつでむずかしいことを考えたことがなかったし、年齢を重ねた今は逆に、いや、年齢を重ねたからこそ、物事を要領よく考えてしまう、割り切ってしまう、処理してしまうことが少なくない。
もちろん、そのような要領のよさは、むずかしい社会を生きる上で、「生活の知恵」と言ってしまえば聞こえはいいのだけれども、でも、本来感じるべき、あるいは、感じてもいいべきことを感じなくしてはいないかとも、思うのである。「世の中、そんなものさ」と。
感性が敏感すぎるのも、ひょっとしたら疲れてしまうのかもしれない。でも、感性がないと、あるものを見て、聞いて「不思議だ」「変だ」と感じる力がないと、世の中が面白く見えない。
そういう感性だけは失いたくないと思うのだ。
もっとも、若いころはそんなこと考えたことなかったから、今、そんなことを考えられるのは、若いころよりもマシなのかなぁ。いろいろと悩むことが多かった30代はもっと敏感だったような気もするし。うーん。よくわからないのだけれども。
まぁ、なにはともあれ、そういう感性を失わないようにしたいなと、感じたことをさらさらと書いてみました。