晴耕雨書
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
ボクは以前――それは、かれこれ4、5年は経つかもしれませんが――「あー、オレは将来、文章を書いて、あとは、農業をして生活していくんだな」と思ったことがあります。それは、「考えた」というよりも、「ふと、思った」もので、なぜ、「ふと、思った」のかは、自分でもよくわからないのですけれども、とにかく、「ふと、思った」のは事実です(証明はできませんが)。
そのイメージから、「晴れた日は、畑仕事をして、雨の日は、文章を書く」みたいな生活――いわゆる、「晴耕雨読」的な.....というより、この場合は「晴耕雨書」ですね――にあこがれているところがあるのですが、今のところは、まだ、そうなっていません。
というより、本当に、「晴れた日は、畑仕事をして、雨の日は、文章を書く」だけでいいのか?というところも、正直あります。「そんなんでメシが喰えるのか?」という気持ちもあるし。そのまえに、やりたいこともあります。そんな現状で、「なにが、『晴れた日は、畑仕事をして、雨の日は、文章を書く』だ。甘ったれてるんじゃねーよ」なんて、自分自身でも思うわけでありますが、それでも、いろんなものを形にした後で、実務は若手に任せて、「晴れた日は、畑仕事をして、雨の日は、文章を書く」的な生活が、送れればいいなーと、こころのどこかしらで思っている自分がいます。
だからといって、「実務がやりたくないのか」というと、そうではありません。ずっと働いていたいタイプです。なんでそう思うのは、自分でもよくわかりません。とにかく、ずっと働いていたい。死ぬまで働いていたい。
今日もお読みいただきありがとうございます。ずっと働いていたいのは、暇なのが嫌いだからなのかもしれません。