からだは衰えていくが、とにもかくにも結果は出したい
こんにちは、しごとのみらいの竹内義晴です。
先日、ある方から「昭和何年生まれですか?」と聞かれて、「46年です」と答えた。すると先方から、「私は45年なので......」と言われた瞬間、「じゃあ、同じ歳ですね。ボクは早生まれなので」と答えたのだけれど、こんなやりとりがよくあるので、普段、「何歳ですか?」と年齢を聞かれたときには、+1して答えるようにしている。なので、この誕生日で45歳なのに、つい先日まで46歳になると思っていた(こうして、自分の年齢が分かんなくなっていくんだな~(笑))。
今年に入ってから、なぜか、山登りで言うところの「下山」という感覚が強くなった。その理由は自分でもよくわからない。とにかく、「半分(つまり、折り返し地点ね)まできた。これからは下っていくんだ」と(「下る」というと、ネガティブな印象があるから、「成熟」とでも言っておくか)。
とはいえ、90歳まで生きるか分からないけれども、酒は弱くなったし(好きだけど)、目も悪くなってきた昨今、体の変化は感じざるを得ない。そういう意味では、まさに「下って」いる。
けれども、気持ち的には「下る」という感覚はなく、どちらかといえば、「まだ何も残せていない」「まだ何も結果を出していない」という感覚のほうが強く、「あ~、やらねば!」という印象のほうが強い(ほんと、やらねば!)。
ただ、「やらねば!」ではあるのだけれども、以前のようなガツガツした感じではなく、できるだけしなやかに、なめらかに、来たものを受け入れて、そのときできること一生懸命やっていこうとだけ、思っている(まー、「あの辺に行こう」みたいなものはあるけれども)。
あー、改めて振り返ってみると、本当に何もできてないな。結果出せてないな。まだまだだなという気持ちが強い。でも、先日、「まだまだという気持ちがあるうちは大丈夫ですよ」と10歳年下の子から言われて、「そーだなー」と思ったところ。そうだ。ボクはまだまだだ。
「下山」と言うと、「あとは下るだけ」みたいなイメージがあるわけだけれども、登山に詳しい人に言わせると、山を登っているときよりも、下山のほうが難しいらしい。だから、「下山を侮ってはいけない」のだそうだ。
下山途中ですっころんで、けがをしないようにしながら、しなやかに、楽しく過ごしていきたいと思う。でも、とにもかくにも結果は出したい。どうやってそこに行けばいいのかは、分からないけれども。