オルタナティブ・ブログ > トツカワ警部が行く! >

経営コンサルタント 中津山 恒の日常ーいつの間にやらガジェットがいっぱい

古巣を訪ねて思い起こした、独立を決意した大きな理由

»

 先日、みなとみらいで2日間に渡って研修を受講してきました。会場は、筆者の古巣である富士ゼロックス株式会社のセミナールームです。

 会場となったビルには思い出があります。ソフトウェア製品のサーバー仮想化技術対応ポリシーを苦労してまとめていたとき、一緒に各部門の説得にあたっていた同僚Hさんのことです。Hさんと一緒に、このビルに入っている、ある部門の説得に行ったのでした。

 幸い、その部門との話は順調に進み、会議のあとは晴れ晴れとした気持ちでみなとみらい線に乗りました。当時はまだ劇団四季のキャッツ・シアターがあり(劇場名には競合他社の名前がついていました)、五反田に同シアターがあったときのことなど、他愛のない話をして横浜駅で別れたことを覚えています。

 そのHさんは昨夏、惜しくも亡くなりました。ご家族の希望で病状などは伏せられていたようで、同じ部門の方にも突然の訃報だったそうです。Hさんの急逝は、筆者にとっても本当にショックでした。

 Hさんが亡くなったことは、筆者の独立にも影響を与えました。東日本大震災を含め、筆者の周囲では、その数年前から大病を患った方や亡くなった方が相次いでいました。Hさんの逝去をきかっけに、いつ尽きるかわからない命ならば悔いのないように生きたいと思いました。少年老い易く学成り難し。この言葉が、退職するまでずっと頭にあったのです。

 アエラで紹介していただいた通り、筆者は思い立ってすぐに独立したわけではありません。しかし、最後の一歩を踏み出したのは「人生は儚い(はかない)」と痛感したことだった気がします。ばたばたとして忘れかけていましたが、古巣を訪ねて思い起こしました。

Comment(0)