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元・外資系ハードウェアメーカー・マーコム担当の、人生のお休み徒然日記。

歌舞伎に見るマーコム

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先日、人生初の歌舞伎鑑賞の機会に恵まれました(しかも花道の横の一等席!)。
歌舞伎役者が実際に歌舞伎を演じる姿を観ることよりも、むしろTVや雑誌など他のメディアで”素”の姿を目にする機会の方が多い現代において、歌舞伎座は異次元の小宇宙のようでした。
間近で観る役者さん達の迫力と、生み出されるお芝居の雰囲気は筆舌に尽くしがたいものがあり、一度観に行かなければ解らないであろう独特の感触があります。

私はイヤホンガイドを借りて、所どころ解説を聞きながらの鑑賞となりましたが、このガイドがなかなか秀逸で、各役者さんの名前と屋号、あらすじ、わかりにくい言葉の説明などが程よいタイミングで流れてきます。
屋号は所謂”見得”を切る場面で、観客が合いの手を入れるためのものですが(初心者にはタイミングが難しく、私は常連さん達が掛けるのを聞くに留まりました)、この”合いの手”という決まりごとが、芝居に命を吹き込んでいるような気がしました。

よくコンサートやライブなどで、MC中に歓迎されない”呼びかけ”や”掛け声”を発している方を見かけますが(ミュージシャンの方も時々迷惑そうだったりしますよね)、歌舞伎では『さぁここで”合いの手を入れてくださいね』という分かり易い合図である”見得”とそれを『待ってました!』とばかりに繰り出される”合いの手”が見事に調和しており、それによって芝居空間が生み出されているように感じられたのです。
そしてそれは、あくまでも「予定調和」でありながら、毎日違う観客が少しずつ違う声やタイミングで合いの手を入れることによって、毎日新しいものが生み出される、という不思議でゆるい「予定調和」でした。
『芝居は生き物である』という言葉が最も似つかわしい芝居は、もしかしたら歌舞伎なのかもしれません。

数多いらっしゃる素晴らしい役者さんのなかでも、一番輝いていたのは、『成田屋の御曹司 海老様』こと市川海老蔵さん。
芸の確かさはお墨付きですが、何よりもあの眼力の強さと凛とした佇まい、気高さと気品、存在感に観ているこちらも気圧されてしまいました。
そして一番のポイント、化粧を施していてもそれと分かるほど、やはり男前!
たった4時間少々ですっかりファンになってしまった私です(・・・すみません、私はかなりミーハーです)

歌舞伎用語には、ご存知のとおり現代に生きている言葉が沢山あります。
二枚目、三枚目、幕の内などに始まり、花道、どんでん返し、十八番、千秋楽、色男、鳴り物入り・・・果ては、なあなあ、グレる、段取り、ト書き、黒幕、差し金、茶番劇、頭取まで(後半のいくつかは、歌舞伎が語源とは私も今回調べて初めて知りました)。

一体、歌舞伎という小空間からこれらの”業界用語”がどうやって一般に広まったのか、その伝播力はどの程度の速さだったのか等々、考えれば考えるほど興味深いことばかりです。
現代のように実質的にはマスメディアに分類されるメディアが無かった時代、多くはかわら版(一応これはマスメディア、でしょうか?)や口伝で伝えられたのでしょうが、まさか「流行語大賞」なるものも無いでしょうし、これだけ多くの用語が一度に同じスピードで伝播したとも限りません。

そこに何らかの”マーコム的”な動きがあったのだろうか?と思うにつけ、益々興味が湧いてきます。
現代に置き換えれば、役者は”エバンジェリスト”で小屋の番頭は”マーコム担当”とか・・・?

海老さま熱と相まって、しばらくこの『歌舞伎とマーコム』、私の心を掴んで離さなそうな気配です。

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