オルタナティブ・ブログ > "さとなお"の『人生たまにはバケーション』 >

元・外資系ハードウェアメーカー・マーコム担当の、人生のお休み徒然日記。

漢字間違えは、アイデンティティを喪失させる?

»

私の名前(奈穂子)は、「ナオコ」で変換しても、十中八九出てきません。
「ナホ」で検索して「奈穂」を出し、「子」をそれにくっつけるという変換で出すのが一番早いです。
(私自身は「奈穂子」で単語登録しているので不便ではないのですが。)

PCを当たり前に使うようになってから増えたのが、名前の漢字間違いです。
一番多いのが、「菜穂子」 (ナオコ、で変換すると"穂"を使っているのがこの1つだけだからでしょう)。
変換しにくい名前でも、似た候補が出てこなければ間違えられることも無いのだと思いますが・・・。

実は、この漢字間違え、結構寂しいものなんです。
古い友人でも年賀状の漢字が間違っていることがままあったりするのですが、去年まで正しかったのに、今年のは間違ってる、というものもあったりすると、「きっとPC買い換えたときに、リスト打ち間違ったのね」と察しながらも、なんだか言うタイミングを逃してしまったりして、そのまま数年間違えられっぱなしということも。
余程のことが無い限り年賀状用のリストなどは見直しをしないので、一旦間違って登録されると直らないことが殆ど。
まして古い友人であればあるほど、こちらが指摘しない限り、自分が間違っていることに気づかないままのようです。

それでも、年賀状だけの間違いなら可愛いもの。
ここ数年で知り合いになった方は、更に漢字間違い率が上がっていて、私の名前は「菜穂子」だともうハナから思い込んでいる人が多いように思います。
PCや携帯の普及に伴って、変換ミスも増加しているのかな、と勝手に推測しているのですが、メールなどで「菜穂子さん、」なんて書き出しを見ると、もうそれだけでがっかりしてしまって、レスを返すときに漢字の間違いを指摘しようか、それともレスそのものを止めてしまおうか、とつい考えてしまいます。

"名は体を表す"と諺にもありますが、正にそのとおりで、違う漢字を充てられると、何だか自分が自分で無いような、アイデンティティを失ったような感覚になるのです。
それに、名前の文字のイメージは、その人のイメージの一部になりえます。(少なくとも、私は他の方の名前の文字面と、その人のイメージをひとまとめにして、自分の中で形作っています)
私の「奈」の字が「菜」になっただけでも、多少なりとも人物としてのイメージが違ってインプットされているのでは?と思ってしまうのです。

つまり、きちんと漢字の名前を教えているにも関わらず私の名前を間違って登録したり、間違いに気づかない人というのは、"私のことを誤ったイメージで認識しているのではないか?"とか"私に実は興味がないのではないか?""私は彼女(彼)にとって、さほど重要な人間ではないのだな"などと思ってしまうのです(少々、極論ではありますが)。

きっと、広告も一緒なのだと思います。
単語ひとつ、いえ、助詞ひとつ違うだけでも、印象はガラリと変わるはずです。
となると、ブランディングイメージからも、ちょっとずれた広告になってしまう可能性だってあるわけです。
自分の名前を丁寧に扱って欲しいと思うのと同じくらい、ひとつひとつの文言を大切にして、広告コピーにもブランドのアイデンティティを盛り込まなくては。
翻訳と意訳の狭間で苦しみながら、またひとつのワードを探して、また模索の日々です。

Comment(3)