賭博をなぜ罰するかって?それは後続への見せしめのためさ
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===ほぼ毎朝エッセー===
□□見せしめ効果を狙った「お仕置き」でいいのだろうか?
最近、スポーツ選手の賭博への関与が話題になっています。その中で、どうにも違和感を覚えることがあります。それは、「賭博=悪」であり、そこに関与をしたのであれば、選手生命を奪われてしかるべきというような攻撃性ある報道です。
「青少年に夢を与える職業」だから?
「一流選手たるもの生活からして手本となるべき」だから?
おかしな話です。青少年はそんなにスポーツ選手の生き方を真似するものでしょうか?悪いことはどのサンプルからでも真似て持ってくるものです。
ちなみに賭博と言っても無数にありますよね。例えば、パチンコの景品を別な窓口に行って換金する。あるいは賭け麻雀。どれも立派な賭博です。これらを社会問題にすらしない一方、ヒステリックにスポーツ選手の賭博問題を取り上げることが謎です。
ミスや出来心は誰にでもあるけど、その1回でスポーツ選手としての生涯のチャンスが奪われるような風潮に危険な空気を感じます。お仕置きのひどいもの。中世時代の考え。
「なぜ罰するかって?それは後続への見せしめのためさ」。いい歳をした有識者と称する人たちからの本音が聞こえてきて仕方がないです。
会社運営で「お仕置き」をしているところについては以前ブログに書きました。
驚きの「お仕置き」が未だにはびこる実在大企業
そこから引用します。
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「お仕置き」って会社に必要なのか?
「お仕置き」をされてまで会社に残りたいものなのか?
「お仕置き」って集団リンチのようなものですよね。長い歴史の中でできてきた制度なのでしょうが、21世紀の理想組織を目指す企業にいる自分たちには、ちょっと理解しづらい、遠い世界のもののような気がしました。だた、会社という仕組み自体にそのような集団リンチをしやすい落とし穴があるということを認識しておく必要があると思ったのです。
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社会的な「お仕置き」を、正義感もって集団でやっていたりしないか。自分たちこそ、はたしてちゃんとできているのか。それよりも、それほど賭博を必要としている人がいるのであれば、堂々と安全に賭博ができる環境を用意してあげればいいのです。
ちなみに自分は残念ながら賭博が好きではないです。人生そのものを起業ということで賭けすぎましたし、いまだに日々賭けていますから。(笑)