A型以外を排除しようとした歴史的誤り:血液型診断アレルギーの理由
おはようございます。
雲が多い中の朝焼けショーです。どうやら今日は久々の雨になりそうです。朝カフェ次世代研究会の日は雨、というジンクスがまだ生きているのかな。(笑)
今朝は血液型の続きについて。(前回のエントリー) 朝カフェの準備でばたばたしながらのブログアップです。
==
オルタナな坂本のもう一人、英樹さんから『血液型の世界分布と日本固有の血液型性格診断への憂慮』反応を受けました。また、みずさんからも「AB型を進化形」と表現したことに対して反論のコメントをいただきました。誤解を招くような表現をしてしまって申し訳ないと思っています。
一方、このようなことがあるのは、普段から、血液型診断の横暴さを危険だと考えている人が多いということだと思います。その気持ち、よくわかります。人を4つのカテゴリーに分けて、良くも悪くも、その人がやることを全て血液型に根拠を求める人が多すぎるからです。
先日、高校の同窓会で血液型が話題になりました。四半世紀以上も前からのつきあいがある人たちです。改めて血液型を聞かされて、元々の予想からは全く外れていた事実や、その人の血液型を聞くと、その人の特性を血液型という色眼鏡をかけて見るようになってしまう現象が観察されました。「あ、だからね。」と。
生まれついて持った特性を元にした区別に基づく機会の不平等は「差別」だと考えます。自分の選択肢ではなく、生まれて持った特性ですね。
・男女
・年齢
・長男/ひとりっこ
・人種
・国籍
・出身地
・両親の職種
・生年月日
ところが、実際のところ、このような区別による機会の不平等性などというものは、日常茶飯事です。様々なところで出ています。血液型も変えることができるものではないです。
英樹さんは、Twitterで次のように伝えてくれてもいます。
sakamotoh:@sakamos 血液型と地域分布はナチスドイツがA型をヨーロッパとして民族浄化の根拠の一つに使ったとかでヨーロッパ、北米ではタブーになったからでは? http://www.pbs.org/wnet/redgold/basics/racialhygiene.html
なるほど、と思いました。欧米で血液型差別があえて避けられているのには、ヒットラーがA型以外を排除しようとした歴史に基づくアレルギーがあるからではないかというのです。
歴史的な失敗を元に不要な誤解を招くようなことを避けているわけですね。
区別が横行する、それが差別になる。話を盛り上げるための血液型区別も、すぐにエスカレートして差別へと発展する。気をつけなければいけない点だと改めて思いました。小中学生が血液型を元に友達を差別しているのを見ると心が痛みますよね。
それぞれ違いがあって、その違いを大らかな気持ちで認め合う、そのような大人のルールで行きたいです。
ちなみに先日の飲み会で、自分は「獅子座」「寅年」「黒豹」であることが判明し、これも笑われました。考えてみると、これも生まれつき。それを元に差別されてもいけませんよね!
====
※20100908 09:54 朝焼け写真付け忘れていました!今朝のを加えました。