世界一不思議な日本のケータイとは何か?
携帯産業とは過去数年間、新規市場が見出しにくい日本の家電メーカーを引っ張ってきたと言っても過言ではない産業であったと言えるでしょう。しかしここ数年市場が飽和してきたことと、販売制度の変革により国内での携帯製造企業は大きな痛手と変革を迎えていると言われています。
では誰が携帯産業をひっぱってきたのでしょう。大手3~5キャリアであるということは間違い無いでしょう。また、3G、3.5G、3.9Gなどの規格の高度化を図り、携帯によるデータ通信の大容量化と国際競争強化を図ってきた中央官庁もある意味、ひっぱってきたともいえるでしょう。
ワンセグなどのサービスがこれだけ短期間に導入され普及出来たこともこれらプレイヤーが大量に市場に技術を投入できたことが大きいと考えます。
しかし個人的にはケータイはもはやかってのわくわく感が無くなったような気がします。個人のすきま時間を活用させてくれるものというよりはビジネスやプライベートの汎用的なツールとなって来たようです。どうして最新技術が投入され続け、市場が拡大してきた製品が魅力を喪失したのでしょうか。
ひとつにはケータイはデバイスの進化という方向性からネットを通じてのサービスの進化という方向にレベルアップしてきたことでなないかと思います。そう考えるとやはりキャリア主導の垂直統合型サービスという点はそろそろ限界があるのかしれません。
先日『世界一不思議な日本のケータイ』 (谷脇康彦著)という本を頂いきました。本書は著作名とは違い、日本の携帯がどこの国とどう違うということは扱ってはいません。では何が不思議なのでしょうか。
ひとつはキャリア主導の垂直統合モデルがまがりなりにも成り立ってケータイ大国となっている点があるのでしょう。しかしいまひとつとして、世界的に高額な通信料(本文13P 東京の1分あたりの利用料39.4円であるのに対しニューヨークでは11.7円)を払っており、さらにほとんど実用以上のハイスペックな端末の購入費用を払っているにも関わらず、消費者がその点を強く指摘しないことなのかという点があるように感じました。
そのマジックというか、賢明なマーケティングの種(たね)としてはやはり0円携帯と「無料通話」という無料感の演出のたまものと、業界全体といってよい複雑な割引体系にあるのでしょうか。
著作の全篇に通じるのはモバイルインターネットの国際的な進化の中で、携帯というデバイスに拘泥せず、そこから新たなビジネスモデルが生まれるのではないかという予測とそのためにはキャリア以外が市場に参入しなくてなならないという仮説を投げかけていると感じました。私のような若干専門知識がある人間でも大変参考となるばかりか、これからの時代の新規事業とはと考える方にもお勧めできる内容となっています。
さて、私個人はキャリア主導も悪いことばかりでは無いと思っています。しかし、携帯上位3社のみが儲かる仕組みというものは長期的には受け入れられないものです。対局的にあるものの例としてはGoogle Androidというサービス・開発基盤が良くあげられます。これはデバイスの先にあるクラウドサービスが携帯からノックできるという構造でしょう。また、iPhoneも通信設備をもたない企業があれだけの商品がグローバルに展開できたということから非日本モデルともよく言われるのでしょう。
陳腐なアナロジかもしれませんが、かってインターネットは物理設備をもってポータルを抑えたAOLなどの企業からWebサービスを浸透させ利用者の支持を集めたAmazonやGoogle,Apple(iPhone)いった企業に覇権が移っていきました。モバイルインターネットの世界にも同じことが起きないということは言いづらいのではと考えています。