父のことばから、枝を伸ばして。親を超え、見出されるもの。 ~Still in Solitude (n)~
»
日本年金機構から大きな封筒が届いた。40年、480カ月を納付した。納めて、次は、受給する番だ。
書いて、描いて、40年が過ぎた。
生きて、60年が過ぎた。
父が生きた年齢を、超えた。
港湾設備の強度計算と発明を手がけるエンジニアだった。造船用クレーン、桟橋など。
子どものころの父とわたしは、親子というより、さながら「バック・トゥ・ザ・フューチャー」のドクとマーティのような関係だった。
無口な父が、生前放った、ひとこと。それが、根を張り枝を伸ばす大地になっているような気がする。
「お父さんは、発明をした。子どもは親を超えるものだ。発明ではなく、発見を。」
父は、宇宙の成立に、その構造に、関心を寄せていた。鉄骨ラーメン構造に対するように、真剣に、純粋に。
構造好き。わたしは、生まれてからずっと、考えていた。
考えて、考えて、10代後半、「発見はできない」ことを、発見した。知識はむしろ発見を妨げる。知識を、遠ざけた。目の前のことに、懸命に、一心不乱に、取り組むだけ。
発見は、見出そうとして、つかみとるものではない。
発見は、おとずれ。発見は、向こうから、訪れるのだ。
生きて、待つ。
いくつかの「おとずれ」を、記していこうとおもう。
- ヒトは情動のシーケンスの生成装置にすぎない。
- 生きる意味、生まれてきた意味に、唯一の答えをもとめない。
- データは最高のエビデンス、直感は最善のエビデンス。
わたしは、今日も、今も、半ば覚醒半ば漂いながら、意識を辿り、ことばへと変換していく。
Still in Solitude.
ひとりの時間は、深く沈潜するためにある。
SpecialPR