不調の原因に気づかぬひとびと ~嗅覚センサーを見直そう(11)~
体調不良が生じたとき、病気なら治療をうける必要があるし、睡眠負債なら休む必要がある。過重労働なら仕事の仕方を見直す必要がある。不調の原因は数多くある。そのうえに、ひとつ、原因が追加された。生活の中で曝露する化学物質だ。
医療的処置と併行して、日用品を見直してみよう。改善する可能性があるかもしれない。
ライフスタイルが変える、化学物質の曝露状況
胎児期から化学物質を取り込む時代
高校生が化粧をするようになったのは、いつ頃からだろう。
昭和の時代は、女性のみ、高校卒業時点で化粧解禁というのが常識だった。19歳頃から基本的な化粧を始めて、数年腰掛就職し、寿退社して出産、がデフォルトだった。
学童が化粧するのは、お祭りのときくらいだった。いわゆるハレの日だ。今の時代なら、コミケやフェスやコスプレイベントに参加する日もこれに該当するだろう。
ところが、いまや、メイクアップアーティストやタレントを目指しているわけでもない学童が、日常的に、化粧品を使う。
化粧品の種類も増えている。昔は、ファンデーション、チーク、口紅、アイシャドウ程度で、ツケマやカラコン、ヘアカラーは一般的ではなかった。
男性も、昔以上に、理美容品を使うようになった。肌のお手入れをする、パーマをかけヘアカラーをする。スプレータイプの整髪料を使う。昭和の時代は、パンチパーマの綿菓子頭を見かける程度だったのだが。
その一方で、出産年齢は上がっている。
女性の働き方の是非についてはさておき、問題は、理美容のための化学物質に曝露し始めてから第一子出産までの期間だ。昭和の時代と比べ、はるかに長くなっている。2倍3倍もめずらしくない。出産までに取り込む化学物質の総量は、まちがいなく何倍にも増えているはずだ。
このうえに、香り付き洗剤や柔軟剤が追加された。
洗濯したアンダーウェアは、365日24時間、肌に触れている。タオルで顔を拭く。香りを吸い込む。
乳児は、香り付き製品で洗濯された服を着た父母の胸に抱かれ、大量の化学物質にさらされて育つ。そして、親と同じように、香り付き製品で洗濯した服を着て、子を抱くことになるだろう。
香料や香りカプセルの物質、それらに含まれる「かもしれない」内分泌かく乱物質は、「子孫の」神経発達に、健康に、社会活動に、どのような影響を与えるのだろうか?
人類の歴史からみれば、わずか数十年。短期間のうちに、われわれが取り込む化学物質の種類も量も、激増した。すでに処理の限界に達しつつあるとみてよい。
香り付き製品は、あふれかけた杯に注がれる最後の1滴になる。
若年層の長期曝露。人類史上、前例のないことが始まっているような気がしてならない。
食生活が変える、ヒトのにおい
昔は、消臭除菌剤も、高残香性の洗剤や柔軟剤も、使われていなかった。
だからといって、現代でも不要かといえば、難しい面があることは理解している。
前提条件が、変わったからである。ヒトの発するにおいが、ヒトを含む環境が、変わっている。「昔は、できた。だから、今も、できる」が、通用するとはいえない。
まず、食生活が、変わった。
昭和の時代は、一汁一菜に、野菜と大豆製品の副菜、ときどき近海魚や卵。現代の食卓のように豪華ではなかった。
それが、今では、毎日がハレの日のごとし。白砂糖や動物性脂肪や畜肉や酒のある食卓が日常となっている。意識しなければ野菜不足。添加物も多い。
食事の内容が変われば、体臭は変わる。汗の臭いも、口臭も、排泄物の臭いも変わる。
水洗トイレではなかった時代、完全菜食の禅寺は、比較的無臭だといわれていた。においの強い食材や調味料が使われていなかったからである。それが今では、要介護高齢者の使うパッドや紙パンツに、消臭のための強い香料が使われている。
食が変われば、ヒトの発するにおいは変わり、においへの対応策も変わる。良いか悪いかは別として、これも、進化のうちなのか。
そして、住宅も変わった。すきま風の多い木造住宅は減り、気密性の高いたSRC造が増えた。
高層ビルの谷間、アスファルトからの照り返し。ヒートアイランド。温暖化。汗をかく。
自分のにおいを気にして、他者のにおいも気にして、消臭と香り付けに励むことは、無理からぬことではある。
さらには、交易がさかんになり、未知のウィルスが侵入しやすくなった。抗菌、除菌グッズが爆発的に増えるのも、これまた無理からぬことではある。
かくして、化学物質満載の日用品の市場は、活況を呈す。
化粧品、パーマ、ヘアカラー、ネイル、制汗剤、香り付き洗剤、香り付き柔軟剤、抗菌剤、除菌スプレー、防虫スプレー。
家庭内にも、職場にも、公共施設内にも、車内にも、店内にも、化学薬品を使った日用品が漂っている。
妊婦や、乳児や、病人が、共有している空間に。
においへの配慮、衛生観念は、行き過ぎてしまった。
化学物質の撒き散らされた環境を、清潔だと誤解するほどに。
生活はバランスのうえに成り立つにもかかわらず、行き過ぎてしまった。バランスは崩れた。
過剰に自他のにおいを気にする社会になった。過剰に清潔をもとめる社会になった。
気にし始めたら、使わないわけにはいかない。そして、使い続けて、依存する。
用法用量を守らず、多く使えば効果も絶大とばかりに、エスカレートしていく。
換気の悪い密室で、異なる香りのユーザーたちがぎゅうづめになっている。
自他の生身のにおいを覆い隠すことへの強いこだわり。それは現代日本特有の新しい病なのかも(?)しれない。
すでに、香り付き日用品は、空気のように、生活に根付いてしまった。
あたりまえにあるものになってしまった。あたりまえすぎて、疑うこと、問いかけることすら、忘れるほどに。
体調不良が生じたとき、日用品が原因だったとしても、それに気づかず、疲れか? 働きすぎか? と考えてしまうのも、無理はない。
体調不良の初期の段階で、休養を取り、化学物質を避けてみる
体調不良の背景にある、複合的な要因
体調不良が生じて、検査を受ける。血液、尿、心電図、頭頚部MRIとも、異常なし。医師は、首をひねる。
原因をつきとめることは難しい。多くの場合、複数の要因が複雑に絡み合っている。生活の中に原因があるなどと思ってもみない患者は、申告しない。患者が伝えなければ、医師には、患者の日用品使用状況を、知る術がない。
以前、相方の親族が体調を崩し、相談に乗ったことがある。2014年頃のことだ。
「手を何度洗ってもべとつく。何か身体に悪いものを取り入れてしまって、それが出ているのかな?」と言う。
その場で手を洗ってもらったが、見た目では分からない。半信半疑で「かかりつけの内科医に相談してみては」と返すと、自分の言葉を信じてもらえないのか?という眼差しを向けてくる。洗浄剤を使う仕事に長年従事しているため、それが原因である可能性も否定できず、訴えを傾聴した。
「べたつきを洗い流したくて、シャンプーや洗濯洗剤も、規定量よりかなり多めに使っている」と言う。つまり、本人は、洗剤の類が原因かもしれないとは考えておらず、むしろ、症状を軽減するために、より多く使うようにしたと言うのだ。それでは逆効果だと進言し、わたしが使っているせっけんと、手持ちの化学物質過敏症の本を渡した。
一年経ち、症状は憎悪した。話を聞くと、激しい頭痛を主訴とする不定愁訴。複数の病院を受診するも、血液検査も心電図も頭頚部MRIも異常なしで、診断は二転三転。化学物質過敏症も疑い、相方から「国立病院機構 高知病院 アレルギー科」に問い合わせてみたが、同院を受診するほどの病態ではないことが分かった。除外診断のすえ、たどりついたのは、メンタルクリニック。発端は薬剤性頭痛だったようだ。静かに進行している不調に気付かぬまま、市販薬を自己流で服用しながら無理を重ねていたのだ。休職して復調しつつある。
では、最初の頭痛を引き起こした原因は何なのか。
仕事の拘束時間が長かった。食事はほぼ市販の弁当、ペットボトル症候群になりそうなほどの清涼飲料水好き。その少し前、近隣でリフォームが行われていた。大量に使った洗剤、シャンプーの類。対人ストレス。先行き不透明な社会での生活不安。複数のことが重なった結果かもしれない。
化学物質は原因のひとつかもしれないし、そうではないかもしれない。ただ、食事の添加物に注意し、清涼飲料水ではなく水や茶を飲み、洗剤やシャンプーにも気配りしていたら、最初の頭痛の確率を下げることはできたかもしれない。本人も周りの者も、生活の中で曝露する化学物質には無頓着だ。
困ったことに、回復しつつある過程で、香りの強い製品が多数発売された。本人は体調不良の原因はメンタルにありと思っているから、癒し効果をもとめて、香り付き製品を使った。ヒトの嗅覚は慣れるようになっている。使用量が増えた。
今このときも、部屋にも衣類にも洗濯槽にも、そして体内にも、香りカプセルは蓄積し続けている。いつ盃が満杯になるか分からない。将来、万が一、明らかにそれが原因の体調不良が生じたとしても、本人は日用品が原因だとは思わないだろう。医療関係者は、患者が申告しなくても、背景に日用品からの化学物質曝露がないか、ひとこと尋ねてみてほしい。
原因は、「内にあるのか、外にあるのか」?
前述の一件から、わたしは理解した。
診断のためには、(実にあたりまえのことだが)「原因が、当人の内にあるか外にあるか」が、重要である。
原因を「自分の意思で、つくった」のなら、心因性。一方、自分の意思ではなく「他者により、もたらされた」のなら、心因性ではない。
主語が「自分」なのか「他者」なのか。能動的か受動的か。
たとえば、「自分で」アルコールを飲みすぎるのは心因性の疾患だが、「他者が」強要した場合は、心因性ではなくパワハラだ。
喫煙者の疾病と、受動喫煙による疾病も同じである。
香り付き製品も、リスクを知りながら自ら使ったのであれば、主語は自分だ。だが、もし、マンションの上下左右階から香りカプセルが侵入してきたり、職場や電車内で香り付き製品ユーザーと接近することによって、症状が生じたのであれば、原因は「当人の外にある」。これを心因性だと疑うことは、セカンドアビューズにほかならない。危険物を取り扱う労働者の中毒症状が、日常生活の中で発生してしまったようなものである。
体調不良に陥ったとき、化学物質が原因ならば、遠ざければ症状に波の見られることがあるはずだ(身体への蓄積が考えられるので、遠ざけたからといって即座に症状が消えるということはない)。逆に、化学物質以外が原因ならば、完全に遠ざけても症状は軽快しないか憎悪するだろう。休暇をとって軽快するなら、過重労働が原因かもしれない。初期の段階で休養をとり、思い当たる原因を順に除外してみることが、診断をたしかなものとし、回復までの時間を短縮する。
ところで、先に挙げた「手を何度洗ってもべとつく」現象。
これを聞いたとき、わたしは、そんなことがあるのだろうか?と、少々疑った。だが、今では、ありうると考えている。香りカプセルの接着剤成分がべとつくのだ。わたし自身、さいきん、それを経験した。外出先で1時間ほど座っていたシートから、ジャケットの背面に移香。洗濯する際に素手で触って、利き手のひらに移香。乾いているときはほぼ無臭だが、水がつくと臭い立ち、入浴後は異臭。そして、べとつく感があるのだ。衣類への移香が、何度洗っても落とせないように、手のひらへの移香も、何度洗っても落とせない。ターンオーバーを待つしかなさそうだ。
ほかの疾患と間違えやすい、「空気」が原因の不調
原因特定が難しい、車内での曝露
地方で在宅仕事をしていると忘れがちになるのが、新幹線や地下鉄での曝露だ。
香り付き製品のパワーユーザーがひとりでも乗車しようものなら、車両は香りカプセルになってしまうだろう。想像するだけで寝込みそうだ。
そんな車内で体調が悪化するとしたら、原因の特定は難しいだろう。乗り物酔いか、香り付き製品か、メンタルか、それとも、それ以外の要素なのか。
車内曝露には、同情を禁じえない。
いたく共感する。わたしは、乗り物が苦手だからだ。
メンタルの問題ではない。陽気で飄々とした性格だ。平衡神経は弱いけれど、それは原因のごく一部でしかない。どの車に乗っても酔う、というわけではないのである。
昭和の時代、四国の国鉄(現JR四国)の各駅停車の鈍行列車のように、窓を開けることができ、乗客もまばらな状態なら、全く酔わなかった。また、相方の古い車(ダイハツ)で、窓を開けて、鬼北町の山道を走行するぶんにも酔わなかった。自然の中のでこぼこ道を走っても、酔いは軽い。バスは苦手だが、停車駅で車外に出て「深呼吸して」休むことができれば、軽快する。
一方、新幹線(のぞみ)は、かなり厳しかった。技術セミナーでの登壇や技術イベント参加のために上京していた頃は、到着当日から翌日にかけて食事を受け付けなくなるので、ミルクティーと精神力で乗り切っていた。最後に乗車したのは2014年だが、そのときも、JR四国では多少気分が悪くなる程度だったが、のぞみは厳しかった。
つまり、わたしの場合、車酔いのいちばんの原因は、淀んだ「空気」なのである。
そして、その空気汚染の原因は、害虫駆除のための薬剤かもしれない。検索して知ったのだが(わたしが直接調べて確かめたわけではない)、当時のJR四国では使われていなかったという。
巷では、乗り物酔いは、長らく気のせいだと言われてきた。平衡神経を鍛えれば治る。にぎやかに話をすればいい、精神力が弱いからだ、と言われていた。そうした世間の声には疑問を持っていたが、ひとことの反論も許されないほど、その声は大きかった。
自分の不調の原因をつきとめることは、難しい。それが、「空気」という、つかみどころのないものであれば、なおさらだ。
気付きにくい、身の回りにあふれる化学物質
香り付き製品は、においが強いゆえに、その存在に気付きやすい。
一方、においが薄いものは、気付きにくい。生活の中にあふれる化学物質に対して、我々はあまりにも、無知で、無防備だ。
何年か前から突然、初秋になると、しつこい咳に悩まされるようになった。最長で1カ月続き、ある日突然、なにごともなかったかのようにピタリと止まる。
ホームドクターに相談したが、原因がわからない。
秋の花粉症を疑いアレルギー検査を受けたが何も出ず、カビを疑ってエアコンや浴室を徹底的に掃除してみたが効果なし。
何種類か薬を試してみることになった。そして、シングレアが、劇的に効いた。それから毎年、初秋になると、事前にシングレアを服用してきた。
ところが、この咳、数年前を境に、嘘のようにピタリと止んだのである。それ以降、シングレアは服用していない。今年も全く咳は出ていない。
わたしの体質や生活に変化はない。むしろ睡眠負債は激しく増えている。生活圏にある花木の種類も変わっていない。
検索して知った。 平成25年4月に、農水省と環境省が、学校や公園や街路樹への農薬散布について、文書指導している。シングレアを処方されたのは、平成26年が最後だ。わたしの事務所兼住居は、公共施設の多い場所に立地している。これは、単なる偶然の一致なのか。いや、思い込みや断定は避けた方がいい。単なる偶然の一致で、ほかに原因がないとはいえない。
また、こんなこともあった。
学生時代、体育館での全校朝礼で、突発的に咳が出て、屋外に出てやりすごすことがあった。喉のイガイガによる空咳ではなく、肺が音を立てる喘鳴だ。そうしたことは、年に2~3回で、学校生活には何の影響もなかったから、気にも留めていなかった。
それが、この地に移転してきてから、スーパーに行くと、同様の咳が出るようになった。それが決まって午後4時前か、レジで清算しているときだ。
数年前、いつもより30分ほど早く買い物に出かけて、気付いた。その店では、客の少ない午後3時過ぎに店内清掃をしていた。
そういえば、体育館でもスーパーでも、屋外に出て、しばらくすると、咳は治まる。原因は、床のワックスか洗浄剤ではないか。
それから、スーパーに行く時間帯を変更した。もう何年も、咳は出ていない。
「空気」が原因の不調は、気付きにくい。ましてや、因果関係を、データで明らかにすることも難しい。
もしあなたが、無理のない生活を継続しているにもかかわらず、比較的短期間に、体調不良に陥ったとしたら、生活の中に変化がなかったか思い出してほしい。自宅近辺でリフォーム工事が行われていなかったか。工事現場の横を頻繁に通って通勤していなかったか。満員電車で臭いを我慢していなかったか。そして、洗剤や柔軟剤を変えていないか。近隣から、香りが漂ってきてはいないか。空気は変わっていないだろうか。
自分だけで原因を絞り込まず、まずは医師に相談を
化学物質曝露による症状と、それ以外の疾病による症状には、似ているものもある。
たとえば、流涙をともなう頭痛は、化学物質曝露以外でも起こる。群発頭痛では、片目からの流涙を伴う。また、一定の期間、決まった時間帯に起こるという点で、農薬散布時期の曝露と間違える可能性もある。だが、気を付けて客観的に症状を観察すれば、何かしら症状は違うはずだ。群発は片側で目の奥だ。頭全体の重い鈍い痛みではない。
今では頭痛外来があるので、専門医の診断を受けることをお勧めする。重大な疾病が隠れていないか、除外診断する必要がある。酸素吸入が適用される疾病なら、それで軽快するかもしれない。複数の専門機関で検査しても原因が見つからないなら、空気を疑ってみる必要があるだろう。同じ条件下で症状が出ていないか、思い出してみることは重要だ。記録をつけておいたほうがいい。
街中にも、田畑や菜園はあり、農薬散布の可能性がある。頭痛と化学物質のアレルギーだけでなく、パニック障害と低血糖発作、認知症とてんかんの複雑部分発作など、素人目には似ているように見える症状も、ままある。併発の可能性も否定できない。
ネットで情報を入手することは重要だ。だが、自分ひとりで原因を絞り込もうとすると、検索して得られた知識の範囲内での決めつけになる恐れもある。素人判断は禁物だ。医師に相談したほうがよい。
空気が原因の場合、根本的な解決策は、原因物質を避けること
頭が痛い。喉が痛い。咳が出る。目がちかちかする。鼻がつまる。倦怠感がある。いらいらする。などなど。
香り付き製品で不調をきたしているにもかかわらず、「働きすぎかな」「飲みすぎたか」「睡眠不足だし」「更年期か?」などと勘違いしているひとも、いるかもしれない。
とりわけ、自らや家族が香り付き製品ユーザーで、香りを気に入っているなら、まさかそれが原因だとは思わないだろう。あるいは、思ったとしても、信じたくないだろう。
もし、不調をきたして病院へ行き、原因を特定できないならば、セカンドオピニオンと併行して、香り付き製品の使用を一時的に中止してみてはどうだろう。無香料の製品に変えるのだ。
あるいは、柔軟剤の使いかたを、見直してみてはどうだろう。10年前、いや、5年前の状態に巻き戻せばいい。5年前に戻すなんて考えたくないかもしれないが、生きてはいけるだろう。
対症療法も必要だが、根本的な解決策も必要だ。
たとえば過剰労働から心身の状態が悪化した場合、根本的な解決策は、勤務先との協議や転職など、働き方を変えることである。
同様に、洗剤などへの曝露から心身の状態が悪化しているならば、根本的な解決策は、曝露しないよう生活を見直すことだ。
空気が原因ならば、きれいな空気の中で生活することが、根本的な解決策である。
香りカプセルが人体に与える影響について研究がなされ、その成果が広く認知されて共有されるまでには時間がかかる。一消費者の立場では、国立の学術機関の研究者や自治体が正確なデータをもとに発信してくれなければ、声をあげにくい。
わたしは地方在住で、昔ながらの微香洗剤のユーザーが多い地域に住んでいることから、香害というものに気付くのが遅れた。化学物質過敏症の存在については古くから知っていたが、自身が移香に困るようになってようやく、香害に気付いた。
だが、両者の関係に気づいているひとは、少なくなかった。ネット上で発信しているひとたちがいた。その多くは、かつての、香りに悩むことのない日常を取り戻したいと願う一般人だ。化学物質過敏症に倒れて休職や退職をした社会人、給食エプロンの持ち回り洗濯に悩む保護者、香りユーザーの来店に悩む店主、移香に悩むフリマユーザー、だ。
以前のように暮らしたいだけ、子どもたちに以前のような環境で学んでほしいだけ。声を上げるひとの数は、確実に増えている。香料自粛をもとめる自治体や学校も増えている。
自分が実際に見聞きした情報、体験した事実を、矮小化せず、尾ひれも付けず、ありのまま、他のテーマとは切り離して、発信すること。その情報の集積が、大気と、水と、われわれの生活環境を、改善する力になるはず、と信じたい。